自動車とか売ってて、買ってる人とかもいるのだろうからすごい

 職場でなんとはなしに自動車のチラシを見ていたら、「クルマ買うの?」などと言われたので、「ミニカーを買う金もねえですよ」と応えた。まあ、買う金があっても精神疾患SASで運転などできたものではないだろうが。
 それにしても、そこらには自動車を売っている店もあるし、なにより道路を自動車が走っている。むろん、自動車にも営業用車だのタクシーだのはたらくくるまだのあるが、自家用車と思しき車だってたくさん走っている。
 なんとすごいことか。自動車は安くない。それに維持費だってかかる。駐車場代、税金、ガソリン代、車検……その他なにかわからないが、いろいろかかるだろう。
 みんな、お金持ってんだな、実は。それとも、おれは貧乏なんだな、やっぱり、だろうか。そのどちらも、だろうか。
 いずれにせよ自動車が道路をたくさん走っていて、それを買える人間、維持できる人間がいるということには、なにかしらもう少し驚異の念を抱いてもいいように思える。自動車のタイヤをワンセット買う金もねえですよ、おれは。
 むろん、横浜の真ん中あたりの話だし、おれだって自動車が必須の地方に行けば、なにかしら必須の自動車を手に入れなくてはならないかもしれない。しかし、いくらで? どうやって? 地方で自動車は必需品というが、地方なら新車が一万九千円くらいで買えるわけでもないだろう。想像がつかない。
 自動車を作る人間がいて、売る人間がいて、あとなんか青いLEDを光らせるパーツを作ったり売ったりする人間がいて、それを基本的に維持できるあるていどのサイクルが存在している。まったくすごい。
 そうだ、日本という国は自動車を作ったり売ったりしているのが強まっている国のようだし、他国にも売るだろうが、自国民にも売るだろう。それを買える自国民がいるというのがすごい。この他愛のない、なんでもない話を書きながらも、車の所有者というものの偉大さというものが強く強まってくるのを感じている。もし、車を所有している人がこれを読んでいるとすれば、自分に対してひれ伏している人間が最低でもここに一人いることを自覚していただいてかまわない。すごい。
 マイカー。今でこそ上のように思うが、しかし、当たり前のようにいつかは手に入れられるものと思っていた。今では一生無理なことが決ってしまっている。与えられるものではなかった。強力をもって奪い取るものであった。知ったところで、努力するほどのものではないが、しかし。
 マイカー。あれば、どこか遠くへ行くこともできるだろうか。自転車を載せられる車がいい。少しばかりは特徴のあるような車がいい。燃費などはいいほうがいいに決っている。少し攻撃的な感じがあってもいい。
 ああ、マイカー。永久にまぼろしの。
はたらくくるま