草間彌生「クリストファー男娼窟」、「死臭アカシア」

クリストファー男娼窟 (角川文庫)

クリストファー男娼窟 (角川文庫)

 おれは草間彌生のファンだ。作品のファンだ。そして、言葉のファンだ。力強い宣言、軍隊の行進曲のような詩、最高だ。

「未来はわたしのもの」―草間彌生
こころの憂いの中で沈んだ今日の万物の気配
めくるめく人の世のよろこびと
悲しみの果てに落涙の中にうずもれて
わたしは今こそ芸術の力をもって
人の世のはげしさと天空の雲たちの身の色彩のこだまを聞きつつ
芸術の死にかけたはげしさ
私は人の世のかげりの中に
日々の幻影にたえて
明日の芸術のための心を虚しさをさびしく愛のさざ波の彼方に
心のかぎりの愛のしずくの中で
未来をも夢見て
花咲ける今の心は孤独に打ちのめされても
わたしは芸術の盾を持って
もっともっと人間としてのぼりつめていきたい
宇宙の果てまで、心の高揚にすがりついて
生きて生きていきたいと祈る

埼玉県立近代美術館『草間彌生 永遠の永遠の永遠』へ行ったのこと - 関内関外日記(跡地)

 じゃあ小説はどうか。映画に行く前の図書館、書棚に上の本を見つけた。時間の制約から真ん中の一本を飛ばして「クリストファー男娼窟」、「死臭アカシア」を読んだ。解説では文芸評論家が「クリストファー男娼窟」は小説、読んでない一作は寓話、「死臭アカシア」は物語詩だという。おれにはよくわからないが。
 「クリストファー男娼窟」は(わかりやすいおかまものの)バロウズのようだった。黒人の男娼、初老の客。ドラッグと肛門の世界。生々しいところから湧き上がる幻想。そういうものだった。
 「死臭アカシア」の方が好もしい。死んだ女とその女陰。画家が描いて腐らせるもの。じっとりと記憶に残ってしまうような話。
 して、いずれにせよ、おれが冒頭に描いたような宣言のようなものとは違った。「あとがき」ないし「文庫化によせて」の言葉の方が好きだ。異様なまでの自信に満ち溢れている。とはいえ、草間彌生の中にすばらしいオブセッションとして現れる色や形とともに、言葉の塊があるのは確かだ。今度は死臭もとい詩集を読んでみたい。あれば。