都築響一『ヒップホップの詩人たち』を読む、聴く

ヒップホップの詩人たち

ヒップホップの詩人たち

 おれのiPhoneのプレイリストに「日本語ラップ」というのがある。日本語のラップのリストである。一番のボリュームを誇っている。けれども、この本で紹介されているようなラッパーの曲はほとんどない。というかTwiGyしか入ってない。おれが日本語ラップを聴き始めたのは最近のことだ。手探りで聴き始め一年か二年か、有名どころしか知らない。それで、

これは単なる印刷物ではなくて、深夜のクラブの、あの煙たく湿った、低音に震える空気をいっぱいに詰めた箱なのだから。
「ラッパーズ・ソリチュード――あとがきにかえて」

 とか言われても、おれは「あの」空気なぞまったく知らぬ存ぜぬ。そんな恐ろしいところに近寄ろうという気も起こらぬ。もちろん、着ていく服もないし、一緒に行く友もいない。まあ、20年前に大好きになったバンド、20年後に初めてライブに行くくらいだから、ひょっとしての20年後はあるかもしれない。この双極性障害らしき下流の人間、20年後生きている確率は知らないが。
 さてこのおれ、双極性障害らしき人間思うに、ここに紹介されたるラッパーたちに躁鬱質の人が多いような気がしてならない。そのまんま躁うつの語も出てくる。そうならおれもBloggerのBを定義してみなって、美しい韻を踏むことなくアウトプットは文で勘弁。
 それにしても、だ。おれはなんとなく「日本語ラップの人たちは高学歴が多い」と思っていたが、そんなのは一握りに過ぎなかったな、と。本当にイリーガルな経歴の人らおるやね、と。そして、サイタマノラッパーのような人らおるんやね、と。インタビューされている「ヒップホップの詩人」それぞれに背景があって、初期衝動があって、今があって、と。
 そうだ、いまあの映画、とくに3、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』を観たら、ずいぶんと印象が変わるかもしらん。いや、変わるんじゃなく、もうちょっと深く入り込めるかもしれない。それはわからない。いの一番に紹介されてる田我流主演『サウダーヂ』にしたってそうだ。
 国道沿い、ロードサイド。なぜ惹かれるのか。惹かれるものはしょうがない。おれは日本語ラップの向こうにそれを予感していたのか。ただの偶然か。これもまた、聴くラップの幅が広がっていくにつれわかるかもしれない、わからないかもしれない。つーか、幅を広げるだけの余裕があればの話だ。金がない、生活が怖い、昨日も怖かったし、今日も怖かった、明日だって怖いだろう。立派な合法ベンゾジアゼピン中毒、豪放にははるか遠く入眠剤を追加する。おやすみ。
 あ、あと、この本読みながらiPhoneYoutube検索かけたりしてたんだけど、特設サイト用意されてんの「あとがき」んとこにあって、いや、最初に書いてくれとか思った。わざと二度読ませるためかしらん。いや、おれ、それでほぼ二度読んだけど。

>゜))彡>゜))彡>゜))彡

……3年前、か。