ネットの本拠地、刻まれたおれの断片

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気まぐれにネットに公開する日記を二つにわけた。ひとつははてなダイアリー。ひとつははてなブログ。いまあなたが読んでいるのは後者だ。

さて、しばらく経った。どうもネットの居場所のようなものを失った。失った、というのは言い過ぎか。あやふやになった。いや、そもそも居場所というのは少し違う、本拠地、ホーム、そんなもの。だれかがおれを認識する場所なんてたいそうなものじゃなく(認識されるほどたいそうな存在ではないので)、おれがおれをネットで認識する場所。ぼんやりした立ち位置。あるいははてなブックマークあたりにあるのか、Twitterにあるのか、ほかのサービスにあるのか。

これは少しおもしろい、とも思う。血と肉の実体をもったおれは、今のところ定住所があり、居場所、ホームがある。まあ、ずっと家にいるわけでもないので(せいぜい会社に出るくらいだが)、ほんとうのホームはこの自分自身、この血肉か脳かということになるか。そこを中心に世界が広がっている。おおげさに言えば、脳か身体からはじまり、宇宙へ至る大きな円のようなものの中心がある。それはイメージできる。

一方で、ネットはどうだ。ここにおれはいるのか。刻まれた文字がおれなのか。おれのアイコンがあって、ハンドルがあって、それがおれなのか。脳の中心を取り囲む同心円の中にそれはあるのか。

奇妙な感じだ。その同心円にネットのおれは含まれていないように思える。ただ、このハンドルがあって、アイコンがあって、ネット上でせいぜい10人くらいに認識されている(……実のところはてな界隈で自分がどれだけ認識されているかさっぱりわからん)おれというものが、まるで別個のもののように思える。違う円がある。縁はないが、円はある。

して、その別個の円は刻まれた文字、過去形のおれ、あるいは刻まれたおれの断片。血肉のおれはおれの断片を見る、見られるおれがここにある。その根となる部分を株分けしてしまって、やけにそれを意識する。分けたことで意識しなくなったこともあるが、当面のところこんなことを考えている。