腰越の山の上-「記憶に残る風景」 #地元発見伝

「記憶に残る風景」 #地元発見伝
https://www.google.com/maps/preview?q=35.314024%2C139.493445
鎌倉市, 神奈川県

地元の魅力を発見しよう!特別企画「地元発見伝
http://partner.hatena.ne.jp/jimoto/

 

 

小学校に通うのに山を一つ越える必要があった。鎌倉には坂が多い。坂の頂上からの眺めが好きだった。海と江の島が見えた。今では宅地が更新されてずいぶん違ってしまっているようだけれど、両脇は生け垣や竹林だった。そこから自然と足早になって、おれは小学校に通うのだった。おれは学校というものがいつでも大嫌だったのだけれど。

いつかの下校時のことだった。このうんざりするような坂を2、3人に登ろうとしていると、担任の女性教師が原付きで通りかかった。「これなら楽ちんよ、じゃあね」というと、急坂をパーッと登って行ってしまったものだった。おれは将来、バイクに乗ろうと心に決めた。

やがておれが原付免許を取ったのちの話である。原付免許の試験というものに路上試験はない。ペーパーテストで合格したら、いきなり路上に放り出されるわけだ。その前に、まずスクーターなるものがどう動くのか、その挙動を確かめる必要がある。おれは親父のDioを借りて、とりあえず他の車も信号もない路地をのろのろ走って練習することにした。

そのとき、頭をよぎったのはあの日の女性教師だった。これなら、あの坂を楽ちんに走れる。そう思って山を登った。頂上に一時停止のラインがあったので、おれはそうした。そして発進した。発進したと思ったら、おれはウィリーの体勢になっていた。死ぬかと思った。まだ坂の角度とアクセルの加減がわかっちゃいなかったのだ。

そしておれは盛大に転けて大怪我をした……という記憶はない。ウィリーで走り続けた覚えもないし、その場ですぐに前輪が着地したか、両足を着いてしのいだのだろう。ただ、おれがウィリーの体勢になったのはそのときただ一度なので、今でも記憶に残っている。おれはあのころ鎌倉に住んでいた。原付を乗りまわすようにもなった。今ではそのどちらも失ってしまった。おれはもう鎌倉に住んではいないのだ。