『双極II型障害という病 改訂版うつ病新時代』についてのメモ2

 さきに「人格と障害」という部分について本書についてメモをしたが、他の部分についても気になる箇所が多いので、雑然と書き残しておく。
 引用の引用、クレペリン『教科書第8版』の軽躁病から。著者曰く「この約100年前の記述は、軽躁を論じたものとして、いまだに範たりうる」。

……患者は前よりも気がしっかりして、きびきびして、明敏で、能力があるようにみえる。ことにわずかな類似性をつかむことが巧みで聞く者を驚かすことがよくあり、この巧みさのゆえに患者は機智に富んだいいまわしや、思いつきや、しゃれの言葉遊びや、びっくりさせるくらいの想像力があるが、よくみると大抵は不確実な同一視やそれに似たやり方の想像力でしかない。……

 自分で言うのもなんだけれども、おれにもそういうところあるような気がする。どう思う? って、軽躁状態の自覚というものがないからな。いや、書いているときがそうなのか? 著者はこんなふうにも言っているが。

……また、単極型うつ秒や躁うつ病にはあまりみられない創造性を発揮することがある。天才とまではいかなくとも、才人にはしばしば出会う。こうした従来の疾患にはない、ある種の煌きのようなものを、双極II型障害はもっている。

 おれもなんぞ軽躁モードに入って、銭儲けの創造性でも発揮して、煌けたらええんやけど。

 併病(comorbidity)について。

 すでに不安のところで述べたところだが、comorbidityもBPIIの大きな特徴とされている。もっとも多いのはパニック障害をはじめとする不安障害だが、それ以外にも、摂食障害、身体化障害、アルコール依存、薬物依存、注意欠陥多動障害、社会恐怖、月経前緊張症など多岐にわたる。

 まったくおっしゃる通りというか、おれはティピカルなのだなと安心するやらなんやらよくわからんが。ともかく不安は(客観的根拠=生活、金銭のあるものだが)常におれを支配し続けている。病院に行くきっかけになった過度のダイエット(ジョギング)も「摂食障害」と断言されたし、またアルコールに手を出せば抜け切れないだろうし……と。
 ただ、伝統的な精神医学はこういう並列を嫌うとのこと。うつ病と不安発作があれば、後者はうつの一症状とするものらしい。まあ、どちらでも効く薬がもらえればそれで患者は構わないのだが。して、著者曰く。

 だが、BPIIにおいて、上記に挙げた多彩な疾病は、「有機的連関」を志向する伝統診断によっては捉えがたい。あえてうがった表現をするなら、階層性に対してポストモダン的な「横断性」とよぶにふさわしいようにさえみえる。こうした多型性は、BPIIの診断を時に誤らせるものであり、またそのあり方は、この疾病の現代的な性格を表しているようにも思える。

 だそうで。まあ、患者としてはよく効く(以下略)。
 ……とか言ってたら、こんなお話も。

 気分障害の治療の基本は休息である。うつ病の軽症化や、SSRIなど副作用の軽微とされる薬が導入されることによって、仕事を中断しないまま治療を続ける事例が増えた。だが休息が治療の原則であることに変わりはない。おろそかにされる傾向があるので、もう一度ここで確認しておこう。
 双極II型障害でも原則は同じである。ただし容易なことではない。もちろん古典的な単極型うつ病でも、休息の導入は、そう簡単ではない。しばしば彼らは真面目で、責任感が強く、強迫的に仕事に執着している。場合によっては仕事が彼の人生であり、彼の世界のそのものとなっている。……

 で、おれらの場合だとさらに軽躁的成分が突き動かすという特有の問題があるとのこと。「強迫的に仕事に執着」か。……正直なところどうだろうか。おれの恐怖の源は「食えなくなること」に尽きる。そのためには働かなくてはならない。これは強迫的な執着だろうか。ふむん、「今の仕事(環境)」に執着し、それ以外の働き場に対して恐ろしいほどの恐怖を抱いている、言ってしまえば比喩的でなく死ぬほど恐れていることは強迫的やもしれん。とうぜん、社会不安、パニック障害などもあるだろう。
 しかしなんだ、おれは声を大にして、いや、中くらいにして言いたいのだけれども、この手の本の「事例」や「症例」(プライヴァシーを守るため多少の脚色や話の合体をさせています、的な)ってさ、なんか大企業勤め(としか考えられない)とかの患者が多かったり、ちゃんとした実家があったりして、それで回復したとかしつつあるとか、(都合の)いい話が多くねえか。零細なめんな、貧乏人無視すんなよと。おれには主治医が督戦隊に見えることがある。もちろん、彼は悪くないが、おれは働かなければ、効果を感じている薬を手に入れることすらできない。休息? 休養? そんなのはブルジョワの戯言だ。働けなければ自死か路上か刑務所だ。余裕のあるやつはソファに座ってフロイト流の精神分析でも受けていやがれ。……え、言い過ぎ? やだ、あたしの給料少なすぎて世の中をねたみすぎ? まあいいや、べつにおれがいくら吠えたところでどうにもなるまい。でも、職を失い、治療を受けられなくなり、悪化の末にホームレスになっていたり、冷たくなって転がっていたとかいう話あんだろうがよ。ま、いいけど。
 そういや、こんな話が。

 神田橋條治双極性障害に対して「気分屋的に生きれば、気分は安定する」という標語をあみ出した。達人の真似はしない方がよいかもしれぬが、心にとめおきたい言葉である。

 「達人の真似はしない方がよいかもしれぬ」は心にとめおきたい言葉である。これに続いてこんな話に。

 BPIIの患者は、「一人でいられる能力」が意外に高い。一匹狼的な生き方をしてきた事例にもしばしば出くわすことがある。これは同調性を基盤とした彼らの気質から想像がつきにくいのだが、筆者の経験では、再現性の高い所見である。症例Eでも、無理をして人間関係の中に入ろうとする傾向があると同時に、少し落ち着くと、一人で家事をしたり、読書をしたりして時を過ごすことが可能であった。この「自閉能力」は、治療上有効である。
 では、休息にはどのような意義があるのだろうか。もちろん、それはまず生理的な回復のためのものである。そして社会的に容認された形で、病者役割=sick roleを得ることにより、心理的にも負荷を取り除くものである。さらにBPIIの場合、重要な治療的意義を持つ。それは「何もしなくてもよいのだ」というメッセージである。

 自閉能力! 売るほどあるよ、おれは。一匹狼的な生き方ができるかどうか知らないが、伊達にひきこもってたわけじゃねえよ、ニートだったわけじゃねえよ、と、威張ってどうするという話だが。
 しかしまあ「何もしなくてもよいのだ」なんて髪の毛維持(神の啓示って打とうとしたんよ)に匹敵するくらいの(あ、おれ今のところ毛髪すげえ健康っぽいから。念のため)言葉、どっから受信すりゃいいんだ。トラルファマドール星からか? これが、さっき中くらいの声で吠えたことに通じる。おそらくは、落ちるところまで落ちてようやく届けられるかどうかのメッセージだろう。しかし、おれはそこまで落ちていく自分を為すがままにしておける気がしない。潔く自裁したいという気持ちが強い。なんなら、今だって。
 そこ、なんだろうな。自己肯定感の皆無。成功体験の受容体が見当たらない性格、あるいは性格と病気の混合。そこであることは、お前に言われんでもわかっとる。だが、どうしたらいいかわからん。やはりウキウキになる薬をカタコトの日本語を話すあの界隈の……(以下略)。おしまい。