ツンピリラヂヲの終わりと結婚とそのステータスについて

 わさビーフでおなじみの山芳製菓の提供でお送りされている「夏子と千和のツンピリラヂヲ」が6月いっぱいで終了する、とアナウンスがあった。2008年くらいからやっている番組らしいが、おれが聴き始めたのは2年くらい前だと思う。ツンピリの名の通り……リスナーを豚呼ばわりしたり、養豚場送りにしたりはしないものの……わりとはっちゃけた辛口のトークが楽しかった。
 が、昨年の夏に斎藤千和さんの結婚が発表された。その一報を知ったときまず思ったのは「ツンピリラヂヲ」どうすんだ? ということだった。なんというか、結婚したいけどできない女性二人によるやさぐれ気味のトーク、などを売りの一つにしている番組と思っていたからだ。その後の放送で、結婚発表前から番組のトーク内容をどうしていくか共演者、スタッフと相談していたと話していたし、番組にとって無縁とはいえないことだったとはいえると思う。
 そしておれは……あまり「ツンピリラヂヲ」を聴かないようになっていった。ほかに聴くものがなければ、という具合。番組になにか微妙なズレのようなものが……いわく言いがたい違和感のようなものがあって。少なくとも前と同じようには聴けないな、という。
 が、それも妙な話であって、結婚したことによって斎藤千和さんの総体というのか、人格というのか、組成というのか、それがすっかり変わってしまうなんてことはないわけだ。そもそも、テレビの向こう、ラジオの向こうの人のことであって、そんな見極めなどできるわけもないのだし。
 なのに、どこかでこの二人のうちの一人は既婚者なんだな、という冷水のようなものを感じてしまう。あるいは、なにか気恥ずかしいというか、ようするに……違和感としか言いようのないなにか。
 べつにおれは声優さん個人が既婚者だろうと、ファンだった人が結婚しようと気にならない(引退となると悲しいかもしれないが)。名塚佳織さんのファンだ。斎藤千和さんだって変わらず好きだ。おめでというというくらいだ。だが、「ツンピリラヂヲにおける斎藤千和」という状況については、なにかがあった、と。
 traitは変わらぬがstate(社会的ステータス?)が変わったとでもいうのか。逆か。よくわからぬ言葉を無理して使わぬように。まあ、なんとなくそんなことを感じていたわけだ。そこには、一生結婚できないであろうおれのバイアスがあるのかもしれない。やっぱり負の感情あるのかな、などと自省したりもしよう。
 と、以上のようなこと、番組が終わるということで、ちょっとメモしておくことにした。むろん、ラジオの終わりと斎藤千和さんの結婚が関係あるかないかなんぞ知りようがない。スポンサーである山芳製菓の都合オンリーという可能性も十分にある。いずれにせよ、なにか急な感じはしたが……そんなところだ。