眩しすぎて読めない『南極点のピアピア動画』

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

南極点のピアピア動画

南極点のピアピア動画

 おれとニコニコ動画ニコニコ動画とおれ。おれはインターネット上の「動画」に距離を感じる。理由は過去の体験に根ざしている。おれがネットというものに接続しはじめたころのことだ。ニューズグループでファイル分割、投稿されていたエロ動画が、Windowsでしか見られなかった。おれはMacを使っていた。「ネットで動画というのは、あかんな」と思った。
 思ったままここまできた。だから、おれにとってネットとはテキストと写真がベースの場所だ。時間が決まっている動画というものも、どうもネットの速度にそぐわないような気すらする。動画再生ボタンを押すと、自分が情報を食う速度が削がれるような気になる。GIFアニメくらいならいい。数分の動画なんてのは、テレビジョンから垂れ流されるのを見るので十分だ……。
 というわけで、おれはニコニコ動画のことはよく知らない。まったくネットのカルチャーを知らない人に比べれば知っているかもしれないし、iPhoneにアプリだって入ってるが、やはり遠巻きに存在している文化圏だ。
 おれと初音ミク初音ミクとおれ。おれのiPhoneには200曲以上のボーカロイド曲が入っている。おれは初音ミクが好きだ。だが、それら楽曲はCDという旧来のメディアを経てのものであって、その発生源を知らない。発生や拡散の様子、それがどう生まれ、どういった中で注目を浴びてきたものかを知らない。おれがニコ動を知らないからだ。実感できていない、といってもいい。おれはパッケージングされた音楽としてのボーカロイド曲を好む。そこにどんな絵がつけられているのか、コメントが書き込まれているかということを知らない
 『南極点のピアピア動画』はニコニコ動画初音ミクをめぐる物語だといっていい。そして、おれはそこで語られている文脈や雰囲気を知らないわけじゃない。現実のその一歩先、まあ何歩先にかありそうなSFが描かれている。非常に明るい。前向きだ。野生のプロがくだらないことに熱意を燃やす独特の文化圏。ミクさんが天使であって世界を席巻していくこと。未来像であり既視感……。
 おれには、眩しすぎる。むろん、ニコニコ動画にもどろどろしたところ、どす黒いところだってたくさんあろう。あろうが、ここに描かれているのは、前向きで勝ち組の人物たちと、システムがもたらすユートピアのようなものだ。『ふわふわの泉』のように、スピーディに、前へ、前へ。
 もちろん、面白いから放り投げない。放り投げないけれども、「おいやめろ」感がいっぱいになってくるのだ、この中年は。双極性障害のおれが思うに、この本はちょっと軽躁入ってるんじゃないかという(言い過ぎか)。まあ、そもそも負け組の文系中年向きの作品ではないのかもしれない。おれなどはセリーヌの『リゴドン』でも読んでればいいんだ……。
 といったところで未来ある若者たちはこれを読んで勝手に奮い立ってくれればいいと思う。本当に科学とネットワークで未来を作り出せるかもしれない。おれが「ガーンズバック連続体」とか「じゃんぼ」という挨拶(『キリンヤガ』だよなって打ったら、「キリン屋が」と出てきた。キリン屋なんてどこにあるんだ。アフリカか? 買ったキリンはどうするのだ。ペットか? 乗用か? 食用か?)とか、後ろ向きに思いを馳せているあいだに、若い人たちは……。時代も変わっていくし、おれも衣食住を失って、いつかはネットと遮断される。なんの注目も浴びないまま、なにかに夢を託せないまま、死んでいくのだろうな、結局。そんなおれには眩しすぎるものがある。その眩さに耐えることを若者に託すのは……それはそれで無責任なのかもしれないが……。

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