ガザニガ『脳のなかの倫理』を読む……?

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

……そこで解釈装置は、「左腕が動いていないのが見える」という事実と「それが損傷しているとは判断できない」というふたつの事実を矛盾なく取り込める信念を作る必要に迫られる。だから患者に、腕はどうしたのか、なぜ動かないのかと尋ねると「その腕は私のじゃない」とか「動かしたくないだけなんだ」といった返事が返ってくる。解釈装置が受け取った情報をもとにすれば、それが理にかなった結論なのである。

 

 ……そこでおれに、一回読んだ本じゃないか、なぜもう一回借りたんだと尋ねると「読んだのは私ではなかった」、「もう一回確認したかっただけなんだ」といった返事が返ってくる……。
 脳のなかの倫理を考える以前の話だ。おれの脳はオランザピンの影響で縮小してしまったのか? 本に関する心のどこかで『脳のなかの倫理』は読んでおかないとな……とわりと強く思っていたんだ。それで、借りて読んだんだ。読みながら、「あれ、これ目にした覚えが……」とか思ったんだ。そう思う箇所はあったんだ。でも、「名前の出てるピンカーがこの本から引用したのを読んだに違いない」とか「トロッコ問題とかメジャーだからな」とか思ったんだ。思おうとしたんだ。それが解釈装置というものか。おれは途方にくれる。いや、責任転嫁してやろう。たぶん、おれはこの『脳のなかの倫理』に満腹にならなかったんだ。そりゃあ当たり前だ、たたき台のような本だ。どちらかといえば、技術を優先していっても悪い方にはいかないだろう程度の回答しか用意されちゃあいない。だから、なんか脳科学と倫理についての答えをもらってなかった。そこが欠如してる。あまり記憶に残らなかった……。そういうことにしておこう。けっして威張れる話じゃないが、うっかりもう一冊買ったということに比べりゃダメージはないに等しい。そう思おう。そう思うんだ……。