まさにフェノメノン―石牟礼道子『椿の海の記』を読む

 春の花々があらかた散り敷いてしまうと、大地の深い匂いがむせてくる。海の香りとそれはせめぎあい、不知火海沿岸は朝あけの靄が立つ。朝陽が、そのような靄をこうこうと染めあげながらのぼり出すと、光の奥からやさしい海があらわれる。
 大崎ケ鼻という岬の磯に向かってわたしは降りていた。やまももの木の根元や高い歯朶の間から、よく肥えたわらびが伸びている。クサギ菜の芽やタラの芽が光っている。ゆけどもゆけどもやわらかい紅色の、萌え出たばかりの樟の林の芳香が、朝のかげろうをつくり出す。

 ビクトー・ベウフォートがそうだったかどうか覚えていないが、格闘家で「フェノメノン」の異名を持つ選手がいた。現象や事象を意味する言葉がどう転じてか驚異の才能などをあらわすのは面白いと思った。競走馬でいえばここ最近は不調だが、フェノーメノなどもスケールの大きい馬名といえる。
 ……というようなことを石牟礼道子『椿の海の記』を読んで思った。もちろん『椿の海の記』には筋骨隆々の格闘家も出てこないし、ステイゴールド産駒のステイヤーが出てくるわけでもない。著者の自伝的小説である。著者の小さなころの内面世界、取り巻く世界が描かれている。それは二重の意味でわれわれが失ってしまった世界でもある。

 川の神さま方は、山の神さまでもあって、海からそれぞれ川の筋をのぼり、村々を区切って流れるちいさな溝川に至りながら、田んぼの畦などを、ひゅんひゅんという声で鳴きながら、狭い谷の間をとおってにぎやかに、山にむかっておいでになるが、春の彼岸に川を下り、秋の彼岸になると山に登んなさるという。年寄たちは声をひそめ、お通りの声に耳を澄まして小鳴り聞き、どぶろくを呑んだりだんごを食べたりして、ことなくお通りが済むようちいさな祭を部落ごとに行なうのである。

 人間と自然が未分別の世界がそこにはある。子供の五感が受け取る、とても小さな範囲の少数の人々の世界が、どれだけ大きく豊穣なことか。そして、子供を描くのではなく、子供そのものがここにあって、それでいてそのことも世界のなにか真なるところを突き刺してくる。

「九十九万九千九百九十九の次は何か、いうてみろ」
と亀太郎がいう。手にあまる大きなお椀からおつゆをこぼしかけ、わたしはへきえきして呟く。
「百万」
 数というものを覚えかけてみると、大人たちが面白がって、もちっと数えてみろ、もちっと数えてみろという。数えてゆくうちにひとつの予感につきあたる。たぶんこれはおしまいという事にならないのだと。どだいそのように初歩的な数ならべなどは、五、六十銭の日傭とり人夫の日常世界には無意味なのだけれども、親バカと焼酎の肴に思いつくのである。娘にすれば親のために答えてみせねばならなかったが、いったいいくつまで数えてみればおしまいということになるだろう。数というものは無限にあって、ごはんを食べる間も、寝てる間もどんどんふえて、喧嘩が済んでも、雨が降っても雪が降っても、祭がなくなっても、じぶんが死んでも、ずうっとおしまいになるということはないのではあるまいか。数というものは、人間の数より星の数よりどんどんふえて、死ぬということはないのではあるまいか。稚い娘はふいにベソをかく。数というものは、自分の後ろから無限にくっついてくる、バケモノではあるまいか。

 おそらくは近代と呼ばれるものより前の世界があり、分別を覚えた大人というものより前の世界がある。二重に失われたものを石牟礼道子は描いてくる。フェノメノンだ、とおれは思う。

 この世の成り立ちを紡いでいるものの気配を、春になるとわたしはいつも感じていた。
 すこし成長してから、それは造物主とか、神とか天帝とか、妖精のようなものとか、いろいろ自分の感じているものに近い言葉のあることを知ったが、そのころ感じていた気配は、非常に年をとってはいるが、生ま生ましい楽天的なおじいさんの妖精のようなもので、自分といのちの切れていないなにものかだった。

 というわけで、おれはもう石牟礼道子を読むとすっかり参ってしまって(といっても『苦海浄土』につづいてこれを読んだだけだが)、なんとも圧倒されて困ってしまうのである。困ることもないのだけれども、現実的なおれの手にはどうしようもないものがそこには確かにあって、その豊穣で美しいものをどうすればいいのかという気になる。そしてそれが失われていることに気づいて我が身を呪いたくもなるのだが、呪ったところでどうにもならぬ。というわけで、このおれの手に負えぬものを、ああそこのあんた、あんたに伝えたい。どうか読んでくれ。そうとしか言えぬ……。

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……おりゃあチッソの孫じゃけんね。