後藤浩輝はターフに帰らない

JRA後藤浩輝騎手が自殺

 

 後藤浩輝が死んだ。それも自殺の可能性がある。もし、首の治療に関するミスか何かであったとしても、なんだとしても、死んでしまったことは変わらない。後藤浩輝が競馬場に戻ってくることはない。いったいなんなんだ。おれは思わず息が止まってしまった。べつに誰かと話していたわけじゃないが、「言葉を失う」とはこういうことかと思った。こないだのダイヤモンドステークスで落馬、という記事の見出しを見たときもドキリとしたが、それどころじゃなかった。

 おれと後藤、後藤とおれ。おれが競馬を始めたころ、後藤はまだ若手だった。その存在を意識するようになったのは、後藤が最初にアメリカに武者修行して帰ってきたあたりのことだ。アメリカ帰りらしく、ダートの先行馬で結果を出していたように思う。おれはそれに乗っていくらか美味しい思いをしたように思う。そうして、おれの中で後藤は信頼できる方(馬を選んで馬券を買うのにマイナスイメージをもたらさない)の騎手になった。

 ただ、しばらくは吉田と一緒に逃げ馬で出るときは警戒していたものだ。というわけで、後藤といえばあの馬のこのレース、というのでは……出てこない。日記を検索してみても、ちょこちょこと競馬の日常に名前が出てくるくらいだ。おれは馬券が下手なので、あのレースの後藤に感謝したい! という大レースはないのだ。中くらいのレースもないかもしれない。けれど、競馬の中に後藤はいた。

アデージョは確定の赤ランプの夢を見るか? - 関内関外日記

 というわけで、ニシノフジムスメイブキドミナーレ、ケイコアデージョマイネルハイアップ、クロコアイトの馬連五頭ボックスを買ったのだった。そして、その目論見が的中して、後藤浩輝ニシノフジムスメが差を付けて勝って、二着も長い写真判定からケイコアデージョ(なんちゅう馬名だ)がハナ差しのぐ。馬連万馬券! が、写真判定より遥かに長い審議、審議、審議。ラジオしか情報が無いので、被害馬が多いことくらいしかわからない。長い審議、じりじりと部屋は暑い。そして、死刑宣告。
 くそ、審議対象馬が後藤の方だったか! もちろん、被害馬の一頭は大本命のメジロで、鞍上は吉田豊! 先月(http://blog.livedoor.jp/freefarm/archives/26814008.html ←こちらに舞台裏が)のお返しか! かー。くわー。まさか木刀の遺恨が自分に降りかかるとは。いや、パトロールフィルム見てないから何だけど、いろいろあるだけに、何というか。ハァ。後藤はアメリカ行きあたりからずっと贔屓の騎手だけに、なんとも残念。

 思えば審議で着順がひっくり返って万馬券を取り逃したのはこれが最初で最後だったかもしれない。

君は後藤浩輝と吉田豊を見たか? - 関内関外日記

 新潟十レースの阿賀野川特別。俺は三歳馬のダブルティンパニーを本命にした。内回りのスローペース、先行から外目のポジションを確保して、最後のヨーイドンで勝負になると思ったのだ。ところがどうだ、12.9-10.9-11.0-11.4で大逃走。ここはどこの競馬場か。
 レース後、フジテレビの福原直英アナウンサーが、「最初のコーナーで後藤騎手と吉田豊騎手の目が合ったように見えましたが」と。アナウンサーになる前からの競馬マニアである福原アナが言うのだ、信頼できよう。俺は見逃していた。そうか、二番手を進んだのは逃げると目されていたマルタカキラリー吉田豊。しかし、レース前の馬柱から、この事態は予想しにくい。後藤と吉田豊の名を見たら、もう馬券が買えないじゃないか。

 やっぱり木刀事件のことを気にしていたり。ローエングリンゴーステディはすごかったが……。

米びつの恐怖 - 関内関外日記

 炊飯器を買った。一人用だけれど、銀色のかっちょええやつだ。炊飯器の名前は「ローエングリンプリサイスマシーン、あるいは栄光の阪神マイル」号だ。

 ちなみにこのときはローエングリン横山典弘プリサイスマシーン後藤浩輝だった。おれはこのところローエングリンプリサイスマシーン、あるいは栄光の阪神マイル」号を使っていない。

キンタマーニをクンダリーニ - 関内関外日記

 四階の有人窓口が俺の馬券購入場所だ。キンタマーニ単勝を買うのは気が引けたので、払い戻し機の角を曲がって機械の方へ。ざわめき。モニタを見上げると派手な落馬。後藤浩輝デムーロだった。大事に至らなくて何よりだが、乗り代わりが多発。

 そして、われながらしょうもないタイトルの話しか出てこない……。しかし、騎手に落馬はつきものか。

 ああ、しかし、後藤が死んだか、後藤が死んでしまったのか。なんていうか、楽しそうな騎手だったのにな。ああいうふうにファンサービスしようって騎手はほかにいなかった。競馬番組にゲスト出演してもそうだった。けれど、命がけの騎手を生業として、文字通り命を左右するような人間が見る世界というのは、われわれの想像の及ばぬものには違うのだろうか。もし、自殺だとすれば、そういうことなのだろうか。今のところ、なんとも言えん。この先も、なにか言えることはないだろう。競馬とは確実に離れているはずなのに、なんだか泣きたいくらいだ。まったく。