おれが産まれたとき、おれのへその緒を切った人間というのがいる、あるいはいたのは確かだろう

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おれは労働社会に適した性質がないので、クスリを飲んで調律する必要がある。クスリだってタダじゃない。おれはわざわざ金を払って自分の性質を調律する。調律したところでおれは人並み以下なのは変わらないから、感情の起伏の激しいうるさいキチガイが、おとなしいキチガイになるだけのことだ。

結局のところ人並み以下の人間が稼げる金というものも限られていて、非常に限られていて、おれは金が無い。金が無いのにさらに医者に金を払い、薬局にを払い、だからといってなんだというのだ。なにが手に入るというのか。四方から押し寄せてきて、おれを取り囲み、押しつぶそうとするこの不安をいくらか取り払うのがせいぜいだ。

おれは昼の間は抗不安薬でボケーッとしていて、夜になるとアルコールを入れてボケーッとしている。これがおれに与えられた人生というものなのだろう。近い将来には最低限の金すら稼げなくなって、自分を吊るすことになるだろう。これがおれに与えられた人生というものなのだろう。

おれにはもう抵抗するする気もなく、怒りもなく、後悔もなく、仕方ないと受け入れるよりほかになく、ただただふらふらと生きたふりをしているしかない。おれにはやりたいことなんてないし、やりたかったこともない、楽しいことはないし、楽しかったこともない。

おれが産まれたとき、おれのへその緒を切った人間というのがいる、あるいはいたのは確かだろうが、そのときの赤ん坊にこれが与えられると思っただろうか。こうなってしまったよ。人が誕生するところに祝福など必要はない。よいものを与えられた人間がさらに与えられて、そのとき祝福すればいいのだ。おれのようなものは足りないところからさらに奪われて、軽い呪詛でも吐くのがせいぜいだ。

ただ、おれが一人で暮らしているということだけはすばらしい。おれ一人ということはなんと気軽なのだろう。おれ一人でいるということ、酒があること、クスリがあること、もうほかにはなんにも……。