母の祖母は日本酒だけ飲んで死んだ

おれは最近テキーラばかり飲んでいる。ストレートでテキーラを飲んでいる。おれは酒を飲むとすぐに顔が赤くなった。酒に弱いと思われていた。ただ、顔が赤くなるだけだったのだが。最近では、ビール一缶くらいでは顔色が変わらなくなってしまった。

おれの父は酒に弱かった、という。が、週刊誌の記者や雑誌の編集者をやっているうちに、鍛えて酒を飲めるようになったたぐいの人間だ。結局、酒のせいもあって身体も心も壊して人生から降りてしまった。おそろしい、おそろしい。

おれの母は酒に弱い。弱いというより体質として受け付けない。勤め始めた銀行の歓迎会で生まれて初めてアルコールを飲んだところ、体中に蕁麻疹が出てぶっ倒れ、救急車送りになったという。

その母の祖母というのは、母の家系の中に伝説的なエピソードを残した。そうとうの高齢でも矍鑠とした人だったが、ある日とつぜん「わたしは一ヶ月後に死ぬだろう」と言って、それ以後いっさい食事をとらず、日本酒だけ飲んで過ごし、きっちり一ヶ月後に死んだという。おれは母の祖母を白黒の写真でしかしらないが、そう思って見れば確固たる意志のある人間のように思えた。東北人の意地があるように思えた。

とはいえ、どこまで盛られた話かおれにはわかりかねる。日本酒は多く飲んだが食事もとっていたかもしれない。死期を予言したのもあとづけかもしれない。だいたい、人が一ヶ月日本酒だけで過ごせるものだろうか? ただ、まったくのでっち上げでもあるまい。

いずれにせよ、おれの中でこの話はお気に入りである。死に方として潔い感じがする。最後に好きなことをして死ぬ、というのを実行したのもいい。もし死期を悟ったとすればたいしたものだ。おれもこのように死にたいと思う。が、おれも人生の半ばをとうに過ぎたとはいえ、死期を悟る歳でもない。ありうるとすれば、一人暮らしの安アパートでの頓死くらいだろう。ジョギングのあとビールを飲んで水風呂に入って心臓麻痺、とか。苦しんで死にたくはないが、正直なところどうなるかわかりはしない。おれには長生きの予感がない。そういう人間に限って馬齢を重ねる、ということもあるかもしれない。

ただ、いつ死んでもいい。おれはもう十分に生きた。好きな女と楽しい時間を過ごした。総火演も見た。オーボンヴュータンのケーキも食った。もう思い残すこともないのだ。ほんとうに、なにも。