はてなの幽霊

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いまさら言うことでもないけれど、おれにはどうも爆発力がない。この手触りのある人生において、そしてネット空間において。なにか大炎上させたということもないし、大量の読者を獲得しているというわけでもない。10年以上ネットに、正確にいえば「はてな」に存在していても、幽霊の如き存在感である。

と、いったところで、現実のおれがどこかで名の知れた人物であるというわけでは、まったくない。それどころか、十数年も前に夜逃げ同然に実家を捨てて見知らぬ土地に出てきたこともあって、現実世界でおれのことを捕捉している人間というのは両手で数えられるほどである。仕事といってもだいたいiMacの前でぐでっとしているばかりで、一向に名刺は減らない。おれは、幽霊の如き存在である。

そんなおれがネットを見ていると、たまに頭がチリチリしてくることがある。なぜこのていどのものが注目集めるのか、という嫉妬である。たとえその対象がさんざんに棒で打たれていようとも、だ。卑しむべき心である。だが、本音をいえば羨ましく思えるのだ。おれはなぜに幽霊の如き存在であるか。

ひとつには、おれは人間というものが怖いし、人前に出ることが怖い。おれは人前で喋ったり、歌ったり、踊ったりすることが大の苦手だ。そんなおれがたといネット上の仮想人格であろうとも、大勢の人前に出ることを怖がっているというのはある。あるが、そればかりが幽霊の如き存在である理由なわけがなかろう。

核心を突いてしまえば、おれには人様に注目されるべき才覚がないのである。これはおそろしくも残念な話ではあるが、そう考えるのが妥当であろう。おれごときが綺羅星の如き有名人などと肩を並べられる可能性などありはしないのだ。それがおれが幽霊の如き存在である一番の理由であろう。

それでも、おれのなかの燃えたこともないような燃えかす、異臭を放つ不燃物のようななにかは、おれに書かせること、公開させることをやめさせない。人間の執着や嫉妬というもののいかにおそろしいことか、おれにはわかるような気がする。そしておれは今日も人の目に見えぬ幽霊としてネットにその存在をあかそうとするのだ。じつに、おそろしい、おそろしい。目に見える棍棒を持った人間もおそろしいが、幽霊もおそろしいのだ。しかし、そのおそろしさを多くの人間に把握されることすらないだから、無害なものではある。

うらめしや。