20代のころの無賃労働がすっかりおれを駄目にしてしまった

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10代後半から20代前半のおれは何も考えず大学を辞め、なにも考えず社会的ひきこもり、ニートをやっていた。突如、家の事情でそうはいかなくなった。夜逃げ、一家離散。そしておれは働くよりほかなくなってしまった。いろいろの事情があってまともな労働環境なんてもんじゃなかった。1月1日からGWの終わりまで1日も休まずに働いたりした。働いて働いた。それでもお金を貰えなかった。労働に見合うだけの、ではなく文字通りほぼ無給だった。いろいろの事情があってそうなっていたのだった。

そしておれは大学を何も考えずに辞めたのと同じく、最低限ものを食べられるのだからありがたいと、やはり何も考えず流されるように働いた。いろいろの事情があって低賃金が出るようになった。出ない月もあった。それは今も変わらない。おれの精神は壊れた。元から何も考えていなかった人間がもっとものを考えることができなくなっていた。おれは貧困に追い詰められて、それが原因で精神が壊れた。医者はおれによく言う。「宝くじが当たれば治っちゃうんですよ」。おれは病気なのか、病気でないのか、よくわからない。貧困は病気か。それなのに、今月も処方箋に金を払い、処方薬に金を払う。余った金でアルコールを買う。

学習性無力感。おれが20代のころの労働で学習したもの。

おれは金が無くなる、食えなくなる、屋根の下にいられなくなるという恐怖に心臓を鷲掴みにされて、いくら抗不安剤を飲んでも効かなくなっている。非定型抗精神病薬のおかげで攻撃性(おれのなかの宅間守)はなくなったが、もうおれは苦痛と恐怖しか感じられなくなっている。

だからおれはもっと金が欲しいと思う。金さえあればいいと思う。けれど、おれはどうやってもっと金を稼ごうとか、稼げるとか、そういうことに気を使うのが死ぬほど嫌いなのだ。できれば金と無縁で暮らしたい。金にかかわることと無縁で生きたい。そうだ、いくら頑張ろうと、働こうと、何にもなりはしないのだ。そういう思い……思いなんてもの以前に、もっと身体に根を張ってしまった言語化できないような何かがあって……あるいは何かがすっかり無くなってしまったのだ。

20代のころ、おれの労働に対して最低限でもいいから賃金が支払われていたら、おれはもう少しマシな人生を送っていたかもしれない。精神科医の世話になるようなことはなかったかもしれない。金銭的な蓄えというものができて、余裕をもって生きることができたかもしれない。おれの頭がこぼれ落ちるほどいっぱいの希死念慮に支配されることもなかったかもしれない。

この責任は、すべて何も考えずにいたおれにある。ただ流されてきたおれにある。おれには流れに逆らう力も無ければ、陸に上がる努力もしなかった。そのツケのすべてが今のおれにのしかかっている。人間の社会を生きていく才覚が決定的に欠けている。それで、おれはもっと金を稼ごうという気にもならないし、このままずるずるとジリ貧になって死んでいくだけなのだ。

ただ、もし、あの頃の労働が金銭的に報われていたら、とか、生きていくための仕事のスキルに繋がっていたのならば、とか、たまには考えることもある。人に「君はよいメンターに出会っていれば、まったく違う人生を送れたかもしれない」と言われたこともある。いずれにせよ、「宝くじが当たっていれば」に等しい戯れ言だ。

おれは人間の社会を生きるための才覚を持って生まれてこなかった。おれは人間の社会を泳ぐ気力もなかった。おれは人間の社会のなかでもっと大切な金というものと具体的に向き合うことを嫌悪してきた。

いつまでこんな地獄がつづくんだ?