- 作者: チェスタトン,南條竹則
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僕はあの人に言った。『何に扮したら世間の目を逃れられるでしょう? 主教や陸軍少佐よりも社会的に立派な職業とは何でしょう?』あの人は大きな、しかし何を考えているかわからない顔で、僕を見た。『安全な隠れ蓑が欲しいんだな? 君が人畜無害な人間だと保証してくれる衣装――それを着ていれば、誰も爆弾を持っているなどと思わない衣装が欲しいんだな?』僕はうなずいだ。あの人は突然、獅子のように吠えた。『いいか、それなら無政府主義者の格好をしろ、この馬鹿め!』
1905年の小説だ。無政府主義者の組織に潜り込むスパイものだ。組織幹部に七曜が割り振られているので、主人公は「木曜日」だったのだ。旧訳と新訳でタイトルが違うらしいが「木曜日の男」よりも「木曜日だった男」の方がおれは好きだが。いずれにせよ、七曜を割り振るあたりは、ブランキの四季協会のようだ。
スパイ小説、探偵小説としては、なんというかすぐに話の成り行きにピンときてしまう。すぐに「こうだろうな」というのがきて、そのようになるのだが、それがなにかドタバタ劇になっていて、ドタバタしているのだ。そのドタバタばかりであったならば、いくらか退屈な作品につきあってしまったということになるだろう。あくまで筋としてはそうだ。
とはいえ、筋はそのようになっているが、全体にある種のドレッシングが振りかけられていて、主人公らが世界についてあれやこれや言うのである。社会についてあれやこれや言い合うのである。1905年の小説である。エヴノ・アゼフが大活躍している時代の話である。アゼフは無政府主義者でもないが(あるいはまさにそうであったのかもしれないが)、そのような時代の小説なのだ。その点に、おれはいくらか退屈さを感じないで済んだところがある。もっと深い学識があれば、七曜のそれぞれの立場、思想などについて述べられようが、まあおれにはそんなものはない。最後のほうに出てくる『僕らだって苦しいんだ』という言葉のありようについてあれやこれや少しばかり考えてみるくらいのものである。
というわけで、探偵小説としては日本の三大奇書を読んだほうが面白いかもしれないし、テロリストのありようについてはアゼフの話でも読んでいた方がよろしい、という話になる。とはいえ、その時代のそういった空気、突飛な想像だがスチーム・パンクに通じる空気など感じるにはいいんじゃないでしょうか、というところだった。まあ、そんなところである。
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