音楽で笑えるとはどういうことだろう? 〜THE SHAGGSを聴く〜


 しばらく前にネットで女性バンドだかなんだかの話を見ていてTHE SHAGGSの存在を知った。おれは曲を聞いて呼吸が苦しくなるのを我慢できなかった。はっきりいってこれは笑える。とんでもなく笑える。なんで笑えるんだ?
 おれは思わずTHE SHAGGSのCDを注文してしまった。一番純度の高そうなファースト・アルバムだ。スコッチならシングルモルト、アーティストならファーストアルバム、とは言わないけれど。
 して、やはりiPhoneに取り込んで"Philosophy of The World"が流れてきて、おれは笑った。テキーラを飲みながらアルバムを通して聴いて、たいへん愉快だった。
 ただ、笑い通しというわけではない。最初のインパクトのまま全曲聴いたら発狂するだろう。なんというか、だんだん慣れてくる部分もある。普通に聴いているときもある。が、そこで一発またすさまじい地すべりのようなものがあって、腹を抱えることになる。あなどれない。

 しかし、なぜ音楽で笑えるのか? これは、歌詞のない音楽(メロディ)がなぜ人を感動させるのか? と同じ質問かもしれない。違うかもしれない。
 さきに多数の人間が好ましいと思わせる音楽の法則のようなものがあって、その理論のようなものにしたがって作られた曲を聴いておれたちは生活してきた。プロのミュージシャンの生演奏から、スーパー・マーケットでよく流れてる曲に至るまでそうだろう。
 それをぶち壊す違和感。そのズレ。下手さにシャッグスの強さがあるのかもしれない。たとえば、よく知ってる曲をすごい音痴の人が歌えば笑えるかもしれないし、いきなりすかされるように変な音で楽器を鳴らされたら笑えるかもしれない。ただ、シャッグスの場合はオリジナルで笑える。これがすごい。おれは英語がわからないので歌詞の問題じゃあない。おれは音楽(音楽学?)に明るくないのでわからないが、どこかに存在する音楽の理論、音楽の理想をぶち壊す。ちゃんとしただれかの曲を、変なふうに演奏しましたというもんじゃないのだ。それがすごい。ちゃんとあるべき姿がオリジナルとしてあって、そこを通らない。通れない。そこが可笑しい。けれど、おれはオリジナルを知らない。
 そう、オリジナルのオリジナルのようなものがある、そういう気配はある。「この部分はこういう効果を狙ってるんじゃないのか? できてないけど」という箇所が少なからずある。そういう気持ちになる。シャッグスは理想のシャッグスを追って、追いつくことがない。すべて踏み外し続ける。これがすさまじい。これは狙ってできるものだろうか? おれにはよくわからない。おれがシャッグスを聴いていて思い出すのはThe Velvet Undergroundの"The Black Angel's Death Song"だったり、猛毒の曲だったりするのだが、それとも違う。あるいは、声優さんがラジオで楽器からデタラメに音を出しても笑えはしない。それとも違う。シャッグスは本物だな、と思う。
 そしておれは笑うのだが、なぜこれが「笑い」に通じるのか、これもわからない。美しいメロディがなぜおれを感動させるのかわからないように、わからない。ある種の音楽を美しいと感じる人間が、そうでない人間を淘汰して今の人間があるのだと思うが、その究極要因がわからない。いや、わかっているのかもしらないが、おれは知らない。そして同時に、なぜシャッグスで笑ってしまうようにできているのかもわからない。人間の脳はどうなっているのだろう? まあ、人によっては怒りだすかもしれないが、それとて同じことである。おしまい。

Philosophy of the World

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