中村元『原始仏教』を読む

 ナーガールジュナとかむずかしすぎんよ、というところから、今度は釈尊の直の教えに近いところをうろついてみた。というわけで中村元原始仏教』を読んでみた。

原始仏典 (ちくま学芸文庫)

原始仏典 (ちくま学芸文庫)

……「我(霊魂)および世界は常住であるか、あるいは無常であるか? 我および世界は有限であるか、あるいは無限であるか? 身体と霊魂は一つであるか、あるいは別のものであるか? 修行を完成した完全な人格者は死後に生存するか、あるいは生存しないのか?」などの質問を発せられたときに、かれは答えなかったといわれています。イエスともノーとも答えなかったことが、実は一つのはっきりした立場を表明しているのです。なぜ答えなかったのかといいますと、これらの形而上学的問題の論議は益のないことであり、真実の認識、正しいさとりをもたらさぬからであるというのです。
 かれは種々の哲学説がいずれも特殊な執着に基づく偏見であると確かに知って、そのいずれにもとらわれることなく、みずから顧みて、真の人間の生きる道をめざしました。

 仏教が宗教ではなく哲学であるといわれるのは、このような視点からであろう。というか、これを益のないことのないとまで言い切るあたり、哲学よりさらにわれわれの生活に根差したところ、われわれの見るところ、感じるところに寄り添ったものであるようにも思える。実に現実的。「真の人間の生きる道」というと大仰で途方もないものと思えるが、実のところ、今、ここ、自己にあるというものやもしれぬ。

 ……ゴータマ・ブッダアートマン(自己)を否定したのではなく、人間の倫理的行為のよりどころとしてアートマンを承認していました。人が人間の理法を実践するところに真の自己が具現されると考えました。かれの臨終の説法の一つは「自己(アートマン)にたよれ。法にたよれ。自己を燈明(または島)とせよ。法を燈明(または島)とせよということでした。

 今、ここ、自己。理法の実践。たとえば禅宗公案などであれば、なにかとんでもない質問をされて、そいつを蹴倒すような境地、なのやもしれぬ。実のところ信仰心なるものに遠いおれにはそのようではないかと想像するばかりであるが。いや、仏教に対するそれは信仰と呼べるのであろうか?

……釈尊という一人の歴史的人物が説いたのは、おそらくマガダ語か何かです。中部インドの特殊なことばだったろうと思うのですが、それが後にパーリ語で写されまして、あるいはものによってはサンスクリット語で写されています。その間に多少敷衍というか、くわしく説くということが行われたと思うのですが、しかしだいたい精神はずっと続いていますから、別にそれをまとめて考えてもかまわないと思います。

 まあ、われわれが一番接するところが多いであろう現代日本仏教、すなわち葬式仏教などと揶揄されるものとて仏教ではあろう。中国を経て大きな変化があった、あるいは中国思想が紛れ込んで、さらには日本土着の思想が合わさったとて、それはそれでいいというのならばいいのであろう。だいたい自分などは日本に生まれ育ってしまったのだから、中部インドの昔の人の心だろうと、パーリ語(なんだそれは?)に訳された時点での教えであろうとわかりっこないのだ。そう割り切ろうじゃないの。

……だから、いきなり「おまえのやっていることはまちがってるぞ」とは言わなかったのです。
 そこが仏教の今日まで伝わる一つの態度です。相手に対して非常に思いやりをもち、因習にとらわれているなら、その因習にとらわれている人の気持ちをいちおう同情の眼をもって見るわけです。けれども、そこにとどまってなずんでいてはいけない、それを超えたさらに高い境地へ導いていく。これが釈尊の態度で、その後の仏教に見られると思うのです。

 そんなおれも仏教の世界に入り込んでいったら高い境地に導かれるのだろうか。まあ、なにもやっていないに等しいので導くもなにもベクトルが存在しないという可能性が高いのだが。

 観念的には仏教は保守主義をとっています。つまり昔によき世があり、その時よき定めがつくられ、それを今日まで伝えてきたのはよい姿である、という考え方です。これを末法になった現在に破ってしまうことは世を乱すものである。そういうことをしないで、昔からの理想的な姿の決まりを保存し、実行している間は彼らは栄えるというのです。

 維新後だったか、第二次世界大戦後だったか、仏教のありようというものに仏教者が悩んだあたりはこのあたりだろうか。今によき世があり、などといえば、妙好人とされた人の中に日本の戦争賛美が見られたことなどが思い浮かぶが、さて。

 「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか? わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は、存在しない。」

 これは強烈に拈華微笑を否定する一撃のようで……そのあたりはあとにも出てくるか。最初に書いたように現実的、実際的な「理法」であるとするならば、すべてがあきらかになっている。そうでなくてはならない、という。

「仏教は無我説である」ということをよくいいますが、それは「我執をなくす」ということです。

 ナーガールジュナはなにも言ってないんじゃないの? というようなことに対しては、こういうところを提出するべきなのだろうか。無我ではなく、我執をなくすこと。無我の境地というけれども、我がないわけでもない。我はあって、そのうえの境地。さてまあ、無我も想像できぬ凡人にはわけのわからぬところというのも否めない。

 身体は老いぼれてしまう、これは避けられない運命です。しかしほんとうに老いることがなく生きている、その違いはどこにあるのでしょうか。これを教えてくれる詩の文句があります。

 学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの智慧は増えない。

 痛烈なことばです。

 まったく。でもおれは肉を増やさないようにしている。実際的だ。すばらしい。

 つくられたもろもろのものは無常であると智慧をもって見るときには、もろもろの苦悩を離れる。これは清浄に至る道である。
 つくられたもろもろのものは苦悩であると智慧をもって見るときには、もろもろの苦悩を離れる。これは清浄に至る道である。
 そしてもろもろのものには実体がないと智慧をもって見るときには、もろもろの苦悩を離れる。これは清浄に至る道である。
(ニ七七―ニ七九)

 ここに説かれていることは、漢訳でいうならば、「諸行無常諸法無我一切皆苦」といわれているものです。
 結局つきつめて考えるとやはり人間にとっての事柄なのです。最初の「つくられたもろもろのものは無常である」と訳された文章ですが、このことばは日本では昔から「諸行無常」と伝えられています。これはただ客観的にあるものが移り変わるというだけのことではなく、実は人間とかかわりをもっているいろいろのもの、どんなものでも人間とかかわりをもっているわけですが、それが決してもとどおりではない、移り変わる、やがて消え去る、そのことをいってるわけです。だから、やはり人間に対する真理だろうと思うのです。

 さてまあ、さらに無我(我執)の詳しいところ。人間となにかのかかわりの中での移り変わり、そして消滅。かかわりの思想。かかわりは有であるのか無であるのか。かかわりがなければ実体がないとするところがあるのか。おれにはよくわからない。インドラのネットワークはやはりスタンド・アローンでは存在し得ぬか。

「財なく無一物なのに、
 酒が飲みたくて、酒場に行って飲む呑んだくれは、
 水に沈むように負債に沈み、
 すみやかにおのが家門をほろぼすであろう。」

 これはもうなんというか、おれにしてみれば酒場にも行かず安い酒を買い込んで自宅で呑んだくれるものとしては、まったくもって家門をほろぼすとしかいえない。

 『wikipedia:ミリンダ王の問い』、というのがある、らしい。東西思想の出会いだ。アレクサンドロス大王がもとになっているものだ。これは興味深いように思える。インドとギリシアの古代の出会い、あるいは対決だ。なかなかいいマッチアップじゃないの。

「大王よ、サーリブッタ長老によってこれが説かれました。

われは死を喜ばず、われは生を喜ばず、あたかも雇われ人が賃金を待つがごとくに、われは時が来たるを待つ。
われは死を喜ばず、われは生を喜ばず。正しく意識し、心に念じて、
われは時が来たるを待つ。

と。」

 と、『ミリンダ王の問い』のどうでもいい(といっていいかわからぬが)ところを取ると、こんなところが気になった。紀元前から社畜はいたんだ! とか。どうでもいい。雇われ人が賃金を待つ心境というのはどういうものだろうか。このあたりがスッと入ってこないおれは、やはり雇われ人としての感覚を欠いているように思えてならない。おれはまっとうな賃金労働者であろうか。よくわからない。賃金は当たり前のものとして近い未来にあるのか、熱望、渇望すべきものなのか、冷めた気持ちで受け取るものなのか……。

 そんでまあ、「解説 宮元啓一」から。

……というのも、伝統的な仏教学では、もちろんながら大乗経典は仏説、つまり仏教の開祖ゴータマ・ブッダの教えを伝えるものとされてきたが、それがそうではない、つまり、大乗仏教はゴータマ・ブッダが説いたものではない(大乗非仏説)ということが、パーリ仏典研究を通じて明らかになってしまったからである。
 パーリ仏典のすべてが原始仏教というわけではなく、部派仏教になって作られたものも少なからず混じっているのであるが、基本的にはパーリ仏典の多くは、ゴータマ・ブッダの教えをきわめて忠実に伝えたもの(アーガマ、漢訳で「阿含」)である。
 そうした事情がわが国でも急速に明らかになってきたのであるが、そのため、近代仏教研究者でしかも僧籍のある人々は大きなジレンマに直面することになった。

 さっきのwikipedia:拈華微笑なんかの話になるわけだけど、御維新のあとに迎えた仏教の危機ばかりじゃあなく、こんなのもあったのか、と。原始仏教の原典にあたったら、禅宗なんて成り立たんぜ、というところがあるんじゃあないの、と。でもまあ、だからといって、その後の仏教をあらかた葬り去ろうとするのは悪い意味での原理主義に陥ることやもしれず。中国で改変されようが、日本で日本の泥沼に引き込まれようが、伝わってきた仏教にそれなりの意味がある、そんくらいの寛容さというか、いい加減さがあってもいいんじゃねえの、とか部外者は思うのだが、さて。しかしまあ、葬式のとき説教してくださる、たとえばうちの場合浄土真宗ということになるが、その坊さまたちはどのくらいこういったジレンマに対処しているのか気になるところではある。おしまい。<゜)))彡<゜)))彡<゜)))彡