ミス・モノクロームは意外に普通なのであった。

 おれはボーカロイドの楽曲を好んだ。それが生み出されたネット文化の背景を切り離されたところで好んだ(おれはずっと仕事用のMacintoshユーザーなのでネット上の動画をあらかじめ避ける傾向にある――黎明期にエロ動画が見られなかったため――)。

 べつに過去形にする必要もない、おれはボーカロイドの楽曲を好む。初音ミク以外のボーカロイドの顔と名前もよく知らないが……。
 というわけで、ミス・モノクロームである。おれはミス・モノクロームが生まれた背景などよく知らない。おれは堀江由衣のこともよく知らない。地上波の短編アニメに乗ってきて初めて知ったものである。ラジオかなにか、ミス・モノクロームの生み出された場を知らないということである。とはいえ、おれはテレビ・アニメに映される、テレビ・アニメで歌うミス・モノクロームにたいへん惹かれたのは確かである。
 なにせ、なんというか、どういったらいいのだろうか、声優がなんらかの音声編集をされてボーカロイドのようにやるのである。ボーカロイドの持つある種の不安定感、不自然感を解決しているのである。一方で、ボーカロイドのような(おれにとって好もしい)無機質感を持つのである。これはもう、完全無敵ではないのか。おれはそう思った。ある種の完全無欠、金甌無欠。機械にしかできない発声はボーカロイドであればよい。だが、一方で、ボーカロイドの欠けた部分の補完をこういった冴えたやり方でやれば、一つの完璧ができるのではないか、と。

Black or White?

Black or White?

 というわけでファースト・アルバムなどに手を出してみたが、どうだったろうか。実のところ、「いい」とは思う(これは本当に「いい」と思っているのです)が、おれの期待していた完璧とは違う、というところがあった。なにかこう、意外に普通だったというか。いや、そんなことはアニメのオープニングやエンディングで気づくべきかもしれないが、いや、なにかこう、すごく出来の良いボーカロイドか、すごく出来の良い音声加工されたアニソンかという。それはそれですばらしい。しかし、決して、両者を掛けあわせた未曾有のすごいものではなかったという。
 無論、これはおれが勝手に期待して、若干の失望があったということだけである。本作の質は決して低いものではない。というか、音楽(あるいはそのほか人の手によって創られるもの)に完璧など期待するのがそもそもの誤りやもしれぬ。だが、しかし、いつかはなにか最高の音楽が聴けるかもしれない。死の際で聴こえてくるかもしれない。おれはそんな密かな希望を抱いている。それまでは、人の手によるすばらしい音楽を求めて、あちこちさまようだけの話である。