すべての思い出はむなしい

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すべての思い出はむなしい。どんなに感動しようと、快楽を得ようと、この身に残るのはその何分の一か何十分の一か、何万分の一か。おまけに脳はそれを勝手に整理し、ときに改竄すらする。おれになにかいい思い出があるかと問われても、昔読んだ本のぼんやりとした感想と同程度のものしか出てこない。言葉にしてもむなしい。そのときの全部が戻ってくることがないかぎり、すべての思い出はむなしい。

すべての思い出はむなしいものとなる。おれはそのことを了解している。だから、これから起こるすばらしい体験も、すぐにおぼろげな記憶、作られた言葉になってしまうことがわかっている。だからおれは未来もむなしい。よいことが起こっても、そのよいことのすべてを保存し、好きなときに取り戻すこともできない。そして、おれの人生では圧倒的によいことより悪いことがおこる。悪いことも忘れられるのは利点かもしれないが、結局のところおれの人生によいことがあったということにはならない。

幸せなことがあったら、その今、というものを精一杯に我が身のこととすること。脳の奥底、体の髄の髄まで幸福に浸るということ。その一瞬を永遠に接続すること。これができれば、むなしい過去も、むなしい未来も関係なくなる。おれとおれのすばらしい体験は永遠のものとなる。そのような精神の、身体の状態を言い表す言葉は、過去のかしこい人々によって、いろいろな形で言い表されてきたのだろうと思う。だが、そんな言葉なんて知る必要はない。ただ、この身一つがそうなるという、それだけが肝要なのだ。ただ、そのとき、この身一つに、すべてを、永遠に接続して……。