ルイス・ネリvs山中慎介リターン・マッチについて思う

山中慎介は納得できたのだろうか。「ふざけるな!」と試合後の落涙。 (Number Web) - Yahoo!ニュース

ネリの1回目の計量結果が2.3キロ超過と告げられた瞬間、山中は思わず「ふざけるな!」と口走った。あれほど怒りと悲しみに打ち震えるボクサーの表情を、私は見たことがない。

おれは計量中のボクサーを見たことがない。だから、山中が怒りと悲しみに打ち震えていたかどうかはわからない。わからないが、そうであってもおかしくないと思った。

試合は無残と言ってもいいものだった。おそらくは、バンタム級の試合に合わせて(計量後の体重増も含めて)身体を作ってきた山中に対して、最初からそんなつもりでもなかったろうネリ。スピードもパワーも圧倒していた。その結果がK.O.劇につながった。

おれはテレビを見ながら思った。ネリ陣営はなんで喜んでるのか。なにを喜んでいるのか。ふざけるな。こいつらは唾棄すべき存在だ、と。

おれの勝手な想像だと、山中の心は計量のときに、ある意味折れてしまっていたのだろう。それでもファンは、ろくでもないネリを神の鉄槌が打ち砕くことを願っていたのだろう。そうはならなかった。あまりにも無情だった。

とはいえ、多くの日本人チャンピオンたちがネリを非難するなか、それに異を唱える格闘家がいた。

ネリの体重批判は後出しじゃんけん 格闘家・青木真也「嫌なら戦わなければいい」 : J-CASTニュース

「計量に関してはオーバーしたことはダメでしょう。それはちゃんと言ってますよ。しかしそれを納得して試合を受けた時点で体重は理由になりませんよ」

青木真也、である。おれは青木の一連の発言を読んで、不快になることはなかった。そういう見方もある。ある種のイズム、だ。大山倍達のイズムを思い出した。

大山倍達 - Wikipedia

1991年(平成3年)の第5回全世界選手権においてアンディ・フグが劣勢で負けが決まった時、フランシスコ・フィリォに止めが入ったが、フランシスコ・フィリォが構わず左上段回し蹴りをして、アンディ・フグが失神したのを見て「止めが入ってたとはいえ、倒された者は勝者にふさわしくない」としフィリォの一本勝ちを認めた。

スポーツのルールの上ではフグの勝ちであり、フィリォの負けである。が、そうではないというイズム。状況は違えども、青木真也が言いたいのはこういうことではないか。これもおれの想像にすぎない。とはいえ、格闘家同士がリングで対峙したとき、そこには勝つか負けるしかない。ルール以上のなにかがある。そうなのかもしれない。そこで、山中はある意味では納得して引退したのかもしれない。そうなのかもしれない。

……そうなのかもしれないが、やはり観客(とはいってもテレビ観戦だが)として、ミーハー格闘技ファンとして、やはりネリは唾棄すべき存在だ。それにおそらく、山中にはビジネス上の事情で試合を拒否することはできなかっただろう。それ以前に、一人のボクサーとして勝負を拒否することは頭になかっただろう。無残、無情。

そして、多くの識者、当事者が論じるようにボクシングというものが、階級制というものがある以上、いかにも今の体重オーバーに対する罰が弱すぎるというのも確かだろう。青木が言うように、リングに立ってしまえば勝負ということになってしまう。だが、それを減らす工夫というものはいくらでもできるはずだ。あらゆる団体での試合禁止2年だとか、ファイトマネー全額没収だとか、試合自体を禁止にして賠償を支払うとか……。

おれが偉そうなことは言えないのは承知だが、やはり団体の分裂、階級の細分化、チャンピオンの乱立、そういったものも背景にあるだろう。だが、そういったものを整理、適正化したうえで、おれは殴り合いがみたい。殴り合いに人生をかけている人間の姿を見たい。そう思うのだ。

ウイニング Winning ボクシング パンチングボール ビョンビョンボール SB-9000