空海の入唐というのは、日本仏教史的に、いや、日本史的に重要なことやと思うとるんよ。そして、謎も多い。なんか話がスムーズすぎる。恵果にすんなり認められるとか、さてどうなん? と。そこで、「山岳修行をしていたとされる時期に、実は一回入唐していて、遣唐使の留学僧として行ったのは二回目だった」説みたいなのがあっておもしろい。どこでだれが書いていたか忘れたけれど。だからなんだ、当時の世界都市であった長安で空海がゾロアスター教を見たから、カープの新井さんが毎年護摩行をすることになったのかもしれないのだ。弘法大師はコスモポリタンなのだ。
そんな空海が主役の……というと、これはいくぶん違うかもしれない。いや、この映画の主人公はだれ? というと、やはり空海ということになるのだけれども、空海すごい一辺倒映画とかそういうものではない。では、なにがすごいのか。ネコだ。妖しい猫の伝説であって、デーモン・キャットであって、そのあたりは抑えておきたい。
それで、だ。おれはたまに思うのだけれど、素人の映画感想文や、評論家のレビューなどで、本人の状態というものを記すべきじゃあないかと。たとえば、夫婦喧嘩の真っ最中で映画どころじゃない中で見ました、とか、二日酔いで吐き気以外の記憶が薄いです、とか、部屋のストーブのスイッチを切ったか気が気じゃなかったです、とか、そういうときもあるじゃないの。
と、おれがなにを言いたいかというと、おれは前日というか当日の深夜に座椅子でうたた寝をして、気づいたらNHKの福島原発のドラマ・ドキュメンタリーをやっていて、思わず最後まで見てしまった(所長役は大杉漣だった。R.I.P.)のである。というわけで、おれはこの長めの映画に向き合うにあたって……前半寝ちゃいました。
でも、「三年前」から始まる秀吉の醍醐の花見……ではなく玄宗皇帝の大宴会のすごいことと言ったらないのである。というか、そりゃ前半の最初の方も見たけれど、有無を言わさぬ金のかけ具合、これにつきる。もちろん、センスがなきゃあ宝の持ち腐れだが、この映画について言えば見事に使い切っている。150億円だとか存分に使ってる。そう言える。役者にグリーンバックの前で演技させたくなかったとかいう陳凱歌監督の凄みと言うかなんというか。いや、「三年前」からしっかり見たけど、いや、見応えあったよ。安禄山とか出てきて、「ああ、安史の乱」とか、「高力士、いたなぁ」とか世界史の記憶が蘇ってきたりね。しかし、安禄山とかいかにも安禄山っぽいしな。
つーか、キャスティングすごいな。染谷将太の坊主頭にしたら空海の肖像に似てるっぷりとかな。なんかAIとか使ったのかな、とか。でも、阿倍仲麻呂の阿部寛は読みが「アベ」だから? とか思ったりとかな。それと、楊貴妃役の人な。なんというか、これはCGじゃないのというような、非現実的な感じな。人間なのに不気味の谷を感じるといったら悪いが、美人すぎてちょっと浮いてるくらいの。でも、楊貴妃と言えばそんくらい浮いてなきゃだめでしょ、というところもだって、これもすごいのだ。すごくなきゃ楊貴妃じゃないのだ。この映画でも活躍する白楽天もこう記している。
……
又た見ずや 秦陵一掬の涙
馬嵬路上に楊妃を念いしを
縦令い妍姿艶質 化して土と為るも
此の恨み長に在りて さゆる期無し
生にも亦た惑い
死にも亦た惑う
尤物 人を惑わして忘れ得ず
人は木石に非ざれば皆情あり
如かず 傾城の色に遇わざらんには
「新楽府 李夫人」
……って、「長恨歌」じゃないんかい! という突っ込み待ち、というのはともかく、そういうものなのだ。いやはや。
中国では日本人をほめたりすると「民族のボトムラインを挑発する絶え間ない言動」とか言って逮捕されたりするらしいが、まあ、ここは日本だし、おれは日本人だし、まあまあ面白かったんじゃないかね、と半分ウトウトしていたわりには思うのである。とはいえ、もうこんだけの圧倒的な物量差を見せつけられると、中国にとって日本などは「太平洋に進出するのに邪魔な存在だなあ」くらいにしか考えられてないんだろうなとか思って、いずれ列島ごと沈められるんじゃないか、などとも思ってしまったのである。でも、日本は日本で「理趣経」を巡る空海と最澄の決裂と、一人山を下る泰範を主題にした地味な映画を作るべきなのである。以上。
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