おとうさんは早く死なないものですね

今週のお題「おとうさん」

わたしのおとうさんは広島に生まれ、大阪で育ちました。双子に生まれましたが、弟さんは知的障害者でした。その後、一浪して東京の早稲田大学政経学部に入りました。卒業したのちは、週刊誌の記者を経て、宝島社に入りました。宝島社では「宝島のプリンス」と呼ばれたと自称していました。そして、「プリンス」と呼ばれた人間は得てしてキングにはなれないとも。宝島社ではサブカル方面というより自治体相手の仕事をしていたようですね。当時は宝島社ではなくJICCでしたか(日本信用情報機構とは関係ありません)。そのころ結婚しましたね。仲人は今の宝島社の社長です。おとうさんも今の宝島社の社長さんも学生運動にのめり込んでいましたね。ただ、おとうさんは「ノンセクト・リベラル」を自称していましたね。入学式のときにすでに立て看板の横でアジ演説をしていたと言っていましたが、さてどうでしょうか。いずれにせよ、JICCの人間でした。宝島の編集部に「差し入れ」としてダンボールで大麻が届いた話など聞かされてわたしは育ったのでしたね。しかし、北海道は札幌に転勤になり、そこでわたしが生まれたりしたようなのですが、「北海道は人間を変えるものだ」などといい、JICCを辞めてしまうのでした。しかし、JICCと切れたわけではなく、むしろJICCの暖簾分けをしてもらったのでしたね。あ、その前に一つ会社づとめを挟んでいましたね。その会社の社長とは相性が合わず、また、周囲とも合わないことが多く、夜中に「あいつを殴りに行く」といって出かけたこともありました。そこから、数人を引き抜いて起業して、そのときにJICCの名前を使わせてもらったのですね。早稲田の政経の情けというものでしょうか。そして、ある程度経営拡大して、バブルでたいへんな傷を負い、結局、酒浸りになり、会社にも出ることできなくなり、鎌倉の家と土地を売る羽目になったのでしたね。人生の失敗者です。今思えば、あの不調はわたしにも発現した双極性障害もしくは睡眠時無呼吸症候群の影響があったのではないかと思いますが、今となってはわかりません。そして、不摂生がたたり、糖尿病でインシュリン注射を余儀なくされるはめになりましたね。一家離散ののち、わたしは父に早く死んでもらいたいと思っていたものですが、いまだに生きているのが不思議です。その不思議は客観的に医者に行かなくなった人間の末路として死なないことと、道義的に死なないことの二通りあるのです。一家離散時のごたごたでわたしはおとうさんの右目を拳で目一杯殴ったことがあって、近頃目が見えなくなってきたとかでいやいや病院に通っているそうですが、もしも私の一発が影響しているならこの上ない喜びです。社会、思想、カルチャー、いろいろなことを語る相手としておとうさんはたいそうおもしろい人間でしたが、人間の父親になるべき人間ではなかったし、他人の人生を巻き込む起業などするべき人間ではありませんでした。残念なことに、わたしはいくらかあなたに似てしまったがために、間違っても結婚や子供を作るということは考えられません。考えたところで相手もいませんし、お金もありません。最後に顔を合わせたのはいつでしょうか。20年くらい前になるかもしれません。今後も会うことはないでしょう。あるとすれば、死骸になった姿か、骨か、そんなところでしょう。わたしはあなたを母と弟に押し付けました。しかし、そうでなければ刃傷沙汰になっていたことでしょう。早く、死んでください。

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