あした暇ならヌードを見に行け―横浜美術館「NUDE 英国テート・コレクションより」

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彼女の人から久々にお声がかかった。「横浜美術館のヌード展にいかないか?」。

なぜ久々なのか。というか、おれが二十歳年上の彼女の人とのアクティビティが減っているのはなぜか。それは彼女の人が団地の役員になり、土日が潰れていたことにあった。まあ、それはどうでもいい。「いいですよ」。

というわけで、横浜美術館のヌード展である。

artexhibition.jp

ヌード。NUDE。この言葉から思い出すのは、おれの愛する英国ブリット・ポップのバンドであるSUEDEのデビュー当時のレーベル名である。中学生だったおれは、その響きにどぎまぎしたものである。今回のヌード展はテイト・ギャラリーのコレクションから。テイト・ギャラリー展は二十年くらい前にどこか東京に見に行ったことがあるけれど、今回はNUDEなのである。展示ごとに思い出す限り感想を書く。低能未熟大学文学部美学美術史学専攻中退のろくでもない感想なのはあらかじめ断っておく。

1 物語とヌード

ヌードがとりあえず描かれるようになったのは、神話やなにか物語の中の一場面ですよ、という言い訳から始まった……といってもいいかもしれない。おれの大好きな「オフィーリア」の作者であるジョン・エヴァレット・ミレイの「ナイト・エラント」などがある。これは下山観山が模写しており、常設展にもあったのだけれど、並べてくれればなどと思った。このセクションで一番よかったのはアンナ・リー・メリットの「締め出された愛」であって、物語の背景はしらぬが、本展唯一の少年の裸体であって、非常にすばらしい後ろ姿であった。少年の裸体というのはなにかヌードの中でもタブーなのかもしれぬ。

2 親密な眼差し

クリストファー・リチャード・ウィン・ネヴィルソン(長い)の「モンパルナスのアトリエ」という作品がよかった。包んで持って帰って飾るには一番いいのではないか。そう思った。

 

3 モダン・ヌード

マティスピカソなどが展示されていたが、アルベルト・ジャコメッティの「歩く女性」が印象深い。裸の女性の立体であるが、はじめ頭と腕があったものを、作者が取り払ったという。結果として、なかなか印象深くなっている。一方で、どんな頭とどんな腕が着いていたのかも気になりはする。

 

4 エロティック・ヌード

風景画家という印象のターナーが残した一連のスケッチは、手塚治虫が密かに残したエロ絵みたいな感じだろうか。男性同性愛を描いたデイヴィット・ホックニーの一連の作品はよかった。ピカソの数作あって、女性局部だけやけにリアリティあんな、とか思った。あとは、本展のメーンでもあるオーギュスト・ロダンの「接吻」像がデーンとあって、みんな写真を撮っていた(撮影可なので)。おれも撮った。

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まあ、「でけえな」くらいの感想なのだけれど。

 

5 レアリスムとシュルレアリスム

マン・レイの写真などあり、ハンス・ベルメールの立体などあり。でも、ここでおれが好きなのはバルテュスであり、ポール・デルヴォーであり。デルヴォーの「眠るヴィーナス」は空襲化で描かれたということで、その影響もあって、その点についてどこか超越したところのあるデルヴォーからは離れていたが(要するにあまり好みではない)、ヴィーナスの横に立つ着衣の女性などは「らしさ」があってよかった。

‘Sleeping Venus’, Paul Delvaux, 1944 | Tate

 

6 肉体を捉える筆触

おれにはいまいちフランシス・ベーコンはわからぬ。それよりも、今回はじめて知ったルイーズ・ブルジョワの一連の作品が面白いと思った。ある種のフェミニズムに属するのかもしれないが、まあそんなのはよくわからんが、よかったのである。

 

7 身体の政治性

やはり、現代になると、「女の裸についてのの男性の視線」について問題になってくるのだろうし、政治性を帯びてくる。あるいは、人種の問題も絡んでくる。そのあたりが、黒人男性の裸を描いたバークレー・L・ヘンドリックスの「裸の黒人は存在しない」などであろう。あるいはロバート・メイプルソープのリサ・ライオンシリーズ。しかし、ここで妙に印象深かったのはジョン・カリンという作家の「ハネムーン・ヌード」という絵であって、裸体はともかくとして、その女性の妙な表情はなにか見るものを不安にさせるところある。これも包んで持って帰りたい一作であった。

‘Honeymoon Nude’, John Currin, 1998 | Tate

 

8 儚き身体

シンディ・シャーマンの、女性グラビアのポーズを自分でやってみる写真の表情は、実に攻撃的であり、「おまえら男は」みたいな感じがしてよかった。

 

……と、そんなところ。そのあと常設展を見た。原三渓の手紙を見て「昭和の文字も我々は読めないか」と思ったりしたが、下村観山の日記は「かろうじて読めるだろうか」などと思った。日本画のコーナーに澁澤龍彦の「空飛ぶ大納言」であるところの藤原成通の肖像などあった。

 

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一服しようと喫茶店難民となり、マークイズの地下四階にある上島珈琲店に入った。同じアイスコーヒーを頼んだのに、おれの順番で「ただいま銅製カップが切れておりまして、持ち帰りのプラスチック容器になります」になった。なんか、冷たさが違うよな、とか思った。芸術論議にふけり……ということもなく、胃薬や眼の炎症などについて語りあい、電器屋でテレビなどを見て、帰途についた。

ヌード展は大ボリュームお腹いっぱいというところでもなく、扇情的でエロエロというわけでもないが、わりと面白かったので、明日6月24日暇な横浜周辺民は見に行っても損はないのではないか。なにせ、明日が最終日だ。そして、今日もわりかし人が入っていた。以上。