シンメトリーの男

f:id:goldhead:20180707205249j:plain

おれは床屋に行く。おれの床屋は席が5つくらいあって、だれか手すきの男が散髪をする。総調髪1800円。

おれは今日、床屋に行った。店の前の長椅子に一人、理髪師がタバコを吸って休んでいた。おれが店に入ると、その理髪師が遅れて店に入った。一つ空いた席に促された。

おれはタバコ吸いであったが、度重なる値上げに音を上げてタバコを吸わなくなった。他人のタバコのにおいを気にするようになった。他人のタバコの残り香を気にするようになった。さっきまでタバコを吸っていた男がおれの髪をいじることになった。

どの理髪師に当たるかは、ランダムだ。前回の理髪師は、5人くらいいる理髪師のなかでいちばん若そうな男だった。おれが少し伸びてきたツーブロックの短い部分を自分でバリカンを当てたのを見抜き「左右対称じゃないな……」とつぶやいた。異様に左右対称を気にする男だった。おそらくおれの髪は左右対称になったのだろうと思う。シンメトリーの男はシンメトリーをいやに気にするのだった。

そして今回、おれは「サイドだけツーブロックでバリカン2mm、あとは3cmくらい切ってください」と言った。手先がタバコくさい理髪師はそのようにした。「前髪は3cm切ると動かなくなります」、耳の後ろの髪を示して「全体3cmだと、この部分が長くなります。全体に合わせますか」、などと言う。仕事は丁寧のようだった。いつしか指先から漂うタバコのにおいも気にならなくなっていた。

後ろまでツーブロックなら2,500円。サイドだけなら1,800円。今回は1,800円。おれは代金を支払うと、小さなバッグを棚から下ろして店を出た。店を出て、バスに乗った。バスは桜木町に向かった。桜木町のバス停から図書館に行った。図書館でキリスト教の聖書に関する本と、曹洞宗の僧侶が書いた本を借りた。松屋で回鍋肉定食を食べた。ぴおシティの酒屋でジンを買った。京浜東北線で山手で降りた。セブン-イレブンで明日の朝食(昼食?)の惣菜パンを買った。Suicaで決済しようとして財布を出したら、財布から小銭がこぼれた。

帰って洗濯をした。レンタルの映画を観た。髪はさっぱりとしたが、汗がダイレクトに流れてくるようだった。次にあの床屋に行くことはあるのだろうか。丸顔の男、手先がタバコくさい男、そしてシンメトリーの男。だれに当たるかはランダムだ。おれはランダムを嫌うものではない。

シンメトリー:対称性がつむぐ不思議で美しい物語 (アルケミスト双書)