なぜ小学校は水を飲ませてくれなかったのか?

熱中症で児童死亡の小学校で全校集会 愛知 豊田

17日、愛知県豊田市で小学校の校外学習に参加した1年生の男子児童が熱中症で死亡したことを受けて、学校では、18日、全校集会が開かれ、校長が謝罪したうえで体調が悪いときは知らせてほしいなどと呼びかけました。

 

熱中症疑いで児童38人搬送 宮城・名取市

  18日午前11時20分頃、宮城県名取市の下増田小学校で児童が熱中症とみられる症状を訴えていると教員から消防に通報がありました。消防によりますと、児童38人が病院に運ばれましたが、全員意識はあり命に別状はないということです。

まだ7月も半ばだというのに、アホみたいに暑い。そんななか、こんなどうしようもないニュースが次々に飛び込んでくる。おれは実に30年以上も昔の、自分が小学生だったころのことを思い出す。「そんな昔の」という人もいるかもしれないが、これらの件について旧軍を引き合いにだす人もいるだろうし、あるいはその根っこは近代化、かもしれない。だから、おれの30年も昨日みたいなものだろう。

して、おれの小学校のころの記憶といえばなにか。それは遠足にほかならない。どの学年の遠足でも、ただひたすらに喉が渇いた、という記憶である。遠足でどこへ行ったとか、何を見たとか、そんな記憶は一切ない。ともかく、喉が渇いた、それのみである。ただひたすらに苦しく、しかし、それに耐えるしかなかった。

というのも、鎌倉市立腰越小学校の教員はなぜか、水筒に入れて各々が家から持ってきた水分以外の摂取を、一切認めなかったからである。水筒の中身を飲み干してしまえば、あとは耐えるしかない。行き先の公園に水道があっても、一切使用禁止、これである。どんな思いで公園の水道の蛇口を見たことか!

あとになって思えば、行軍練習のごとき辛さを児童らに強いていた。だから、皆、自分の体躯には似つかわしくないほどの大きめの水筒を運ぶことになった。しかし、それでも足りない。だから、水分補給は控えめになった。現地調達は許されない。ただひたすらに喉が渇く。だが、後先考えて飲み干しては、辛さが増すだけだ。おれにとって遠足とは、喉の渇きそのものであった。喉の渇きとの戦いだけであった。なぜ教師はそんなことを強いたのか。おそらくは、子供たちが公園の蛇口に殺到して水を飲んでは、行軍の予定が狂う、あるいはその行為に対して他の公園利用者から抗議が来るのを恐れた、そんなところであろう。

そんな話を今すると、「今どきは平日にも学校に水筒を持っていくのだ」と言われる。さすがに旧日本陸軍のごとき風習は廃れたのか? それとも教職員の意識が変わったのか? ……しかし、変わったとしたら、上のような事故がなぜ起きるのか。大人こそ、一昔前に比べて昨今の暑さが増していることを体感しているのだろうに。

「一つ、はいという素直な心、

 一つ、やらせて頂きますという奉仕の心、

 一つ、すみませんという反省の心、

 一つ、おかげさまでという謙虚な心、

 一つ、ありがとうございますという感謝の心……」

 二人は、一日中唱えた。米山は動向票に『現在、二人教育中』と、担当印を押した。これで通用してしまう。その唱和は七号舎中に響きわたり、今まで反抗していた囚徒も、意識のない狂囚も、その大音声に動物的な畏怖を覚え、諸声の震動に包まれて無間の底に堕ち行く感覚を味わって、咳もできない程に静まり返った。

――見沢知廉『調律の帝国』

所詮やはり、現代の日本の学校いうものは近代化とともに生じて何一つ変わらぬものであって、それは刑務所の双子みたいなものなのだろう。刑務所五訓を唱えて、女工哀史のような工場につとめる人間を生産するだけの場所なのだろう。

その型にはまることのできない子供は無価値なものとして打ち捨てられる。おそらくは、児童を死に至らしめた教員に罪悪感や後悔の一欠片もないであろう。せいぜい「なぜ自分が担当のときに死んだのだ」という己の出世の妨げになったかもしれないことへの恨み言を吐くくらいだろう。

だから、学校などというものはおおよそ無価値である。おれが小学校の遠足から学んだことは水分確保の重要さという強迫観念にすぎなかった。それゆえに、おれは真夏に自転車で100km走っても熱中症に倒れたり、ハンガーノックすることもなかった。が、それは単におれが恐怖体験から用心深くなったということにすぎない。教育いうものは、エビデンスからなる「いかに水分や栄養を補給をするべきか」、「熱中症予防のための行動とはなにか、用意すべきものはなにか」といった、具体的な知識の伝授であろう。わざと苦しい経験をさせて、運良く生き残った人間のなかにたまたま気づかせるようなことではないはずだ。違うだろうか?

まあ、この調子の地獄が続けば、子を作ろうという愚かしい人間の行為にもさらに歯止めがかかるだろうし、反出生主義者であるらしいおれの理想には近づくだろう。ただ、おれは「新たに生産するべきではないだろうが、今いるものを殺すほどのことではない」というスタンスなので、やはり学校なるものが人殺し機関であるというのは、いまだに人殺し機関であるということには、嫌な思いをする。そう言っておきたい。

 

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