月曜日から夜ふかし、あるいは伊集院光の偉大さについて

ここ何ヶ月か、そしてここ数週は毎週、という形でテレビ番組『月曜から夜ふかし』を観るようになった。

月曜から夜ふかし|日本テレビ

マツコ・デラックス村上信五による……主に町の面白い人インタビュー系番組である。並外れた素人(おもに足立区民)にマツコ・デラックスのするどいツッコミ、村上とのやりとり、おれは阿呆みたいに笑う。月曜日は憂鬱だと言うけれど、これによって乗り切れた感はある。火曜日などスーッとやり過ごして週の半ばの水曜日、これを耐えれば木曜日などほぼ週末、金曜日などほぼ休み、これである。

と、昨日だか一昨日だか、『月曜から夜ふかし』を見終えて不意に思った。「あれ、伊集院のラジオの時間じゃねえの?」。

そう思ったおれは、iPhoneradikoを立ち上げた。TBSラジオに合わせる。そこから聴こえてきたのは、伊集院光の声だった。相も変わらず、伊集院の声だった。おれは「すごい、なにも変わってない!」と思った。

「なにも変わっていない!」とは伊集院光に失礼かもしれない。しかし、おれの最初の感想はそれだった。話題は先週に引き続きの五島列島の旅の話だったらしいが、もちろん先週を聴いていないおれには前段がわからない。それでも、むちゃくちゃ面白い。長いフリートークを終えてコーナーが始まる。当然、おれは今のコーナーなど知らない。それでも、むちゃくちゃ面白い。

これはすごいことだ。おれが最初に伊集院光を知ったのは、中学の同級生に勧められてのことだった。『深夜の馬鹿力』じゃねえぜ、『Oh! デカナイト』のころだ。それからしばらく経って、TBSの『深夜の馬鹿力』を聴くようになった。それが、月曜の夜の習慣になった。よくわからないが、弟も伊集院のラジオのファンになって、一緒に聴いたりもした。ともに童貞だったため、繰り広げられる童貞ネタに気まずくなったりもした。

いずれにせよ、今、四十を迎えるおれの、中学、高校時代から、なにも変わらないかのように、伊集院光は月曜の深夜にラジオをやっている。今回、何年か、あるいは十数年ぶりに聴いたのだが、そこにはおれの知っている「黒伊集院」がいて、あいも変わらず馬鹿な話を、下品な話をしている。「すげえ」としか言いようがなかった。

こんな思いは何年か、あるいは十数年か前にも思ったことだ。それが、まだ続いている。どれだけすごいことだろうか。おれには計り知れない。今、現役の童貞男子中学生が、伊集院光のラジオを聴いて、かつてのおれのように笑っているかもしれない。あるいは、中学生時代から成人になり、いい歳になって、まだ聴き続けている熱心なファンがいるかもしれない。そして、おれのように思い出したように聴いて、感嘆している人間もいるかもしれない。なんといったらいいか、とてもすごいことなのだ。

そして、その「すごい」は、僭越ながらおれの目標とするところでもある。3人か4人の読者が、おれの日記を読んでる。5人目か6人目の読者が、5年ぶりくらいに、ふとおれの日記にアクセスする。すると、そこには、しみったれた貧乏な独身男の呪詛が、相も変わらず綴られているではないか。「こいつは変わらねえな」。そんなふうに思ってくれたら、うれしい。おれがこの日記というものを持続させているのは、そういう理由もある。一番はほしいものリストやアフィリエイトのため、二番目はおれの自己満足と記録のため、三番目は、それである。

というわけで、これに気づいてしまったおれは、マツコ・デラックス伊集院光という、いろいろな意味でカロリー高めなローテを月曜の夜に組み込んでしまうかもしれない。火曜日は寝不足。それでもいいじゃないか。ウィークデーなんて、半分寝て暮らそう。それができるなら、それがいい。

 

 

のはなしさん

のはなしさん

 

 

月曜日は最悪だとみんなは言うけれど

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