酒を飲み
競馬をし
詩に賭ける以上に
することもなし
ブコウスキー詩集―指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け
- 作者: チャールズブコウスキー,Charles Bukowski,中上哲夫
- 出版社/メーカー: 新宿書房
- 発売日: 1995/11
- メディア: 単行本
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おれはチャールズ・ブコウスキーの信奉者であり、とうぜんこの詩集を読んだことはある。が、あらためて読んだ。読んでみたところで、「やっぱり原語で読むべきだろうな、でもおれ、英語わからねえし」と思った。
古いグレタ・ガルボの映画を夢見ながら。
おれは新聞紙の販売機に半ドル入れて
最新のセックス新聞をとった。
それからサンドイッチ屋に入っていって
サブマリンと
コーヒーのラージ・サイズを注文した
客たちはどうやったら減量できるかという話をしながら
すわっていた。
おれはサイドオーダーに
フレンチ・フライを注文した。
セックス新聞の広告の女の子たちは
セックス新聞の広告の女の子たちのように思えた。
女の子たちは孤独ではないのよとおれに語っていた
解決してあげるわとおれに語っていた
……「サンドイッチ」部分
セックス新聞(なんだそれは?)の女の子たちは、セックス新聞の女の子たちのように思える、そこがいい。そこがブコウスキーの直截であり、達観でもある。おれは、実は博識なブコウスキーの、しかしそれでも、その生活に根ざしたところにとどまるところが好きでならない。そして、時代も場所も違えども、同じ下からの目線、地べたの目線を共有していると、勝手にそう思っているのだ。
ボクシングの試合と競馬場は
寺院の学習である。
同じ馬と同じ男が
同じ理由で
いつも勝ったり負けたりするとは限らない。
……「馬と拳」部分
そして、馬である。おれはボクシングというものを間近に見たことはないが、競馬と同じなにかがあのであろう。ブコウスキーが競馬と拳について伝えたかったこと、それを享受したいと思えてならない。社会の下のほうに位置して、そこから抜け出られない人間の悲哀と、歓喜のまやかしを忘れないようにしたいのだ。
ハイ/孤独/酩酊/悲しみの笑い
アイ・ラブ・ユー。