ひたすら少数の者のために手紙を書くがいい

今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉

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すばらしい詩人の一人である田村隆一はこう書きました。

沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい

「新年の手紙」部分

私が十年とそこらブログというものを書いてきて、ずっと思っているのはこのことです。少数の者たちのために手紙を書く。こういった形で文章を世界中にさらけ出すにあたって、これ以外のことを考える必要はありません。

ブログを書こうという人など、それ自体が少数の者です。だから私は、いつものように少数の者のために書く。あなたのために書く。ブログを書こうなどという、少数の者のために。

初期衝動さえあればいい。その衝動がただひたすらにものを書くこと、だれかの目に触れさせること、それを持続させることにつながるのだから。最初の「公開する」ボタンを押した瞬間からそれは始まり、あなたが息絶えるまでそれは終わりません。

文章というものは、書けば書くほど上達するものではありません。それは肉体が衰えるのと同じように、年齢とともに衰えていくものです。あなたが十年もブログを書けば、十年前の自分の文章を見て、そのみずみずしさ、機転、リズムにおどろくことがあるでしょう。それでも、その十年前を読むためには、十年後が必要なのです。

少数の者たちのために書きなさい。あなたが特別な才に恵まれていないかぎり、あなたの書くものを読む人はあまりいないでしょう。ほとんどいないでしょう。しかし。少数の者のために書き続ければ、少数の者が読んでくれるようになるでしょう。そこにだけ届けばいいのです。それ以上なにを望めというのか。

ブログを書くことによって、富を得るということは約束されません。人脈が広がるということは約束されません。人間的な成長が見込めるということも約束されません。なにも約束されるものはありません。しかし、ブログを書こうと思ったあなたは、少数の者として、そうすること以外に得られないものを得る権利を手にすることができます。なにも望んではいけない。ただ、書くことのみを望みなさい。

ただ、書きなさい。写真を載せたければそうすればいい。イラストを描きたければそうすればいい。そして、あなたの見た世界を、あなたの価値観と重なり合うことのある、ただ少数の者のために送りなさい。送り先不明の手紙を、ただひたすらに書きなさい。いろいろの先人の言葉を借りながら、それでも自分の言葉を刻みつけなさい。

そうすることで得られる世俗的な報酬はいっさい期待することのないようにしなさい。十年後に、十年前の自分を振り返ることのできる、ただその権利のためだけに書きなさい。だれにほめられることもなく、だれにけなされることもない、あなたの思う少数の者のためだけに、手紙を送りつづけるのです。たとえ読者がおのれ自身だけであってもいい。ただ、ひたすらに手紙を書くのです。いま、孔雀が死にました。どうかあなたにやさしい裁きがありますように。よい人生がありますように。