おれがその件について触れたくないということについて

おれはその件について触れたくないのである。たとえ5クリックであれ10クリックであれ、拡散したくないからなのである。「君、それはやっぱりパンツでしょう」と言われれば、確かにパンツとしか言いようがないからである。おれはそのことを知っているので、石の裏側にこびりついている虫のように息を潜めるしかないと思っているのである。しかし、同胞であるはずの虫が、石をけとばして表に出てしまったら、「あちゃー」というよりほかないのである。ひっそりと、息を潜めて、敵対者に見つからず、ひそやかな、それでいて熱のある世界を心待ちにする、それがそれだけだったのだ、おれには。おれが最近、2020年末まで生きようというのも、それの続編が作られ、おれが視聴できるかもしれないという願いがあってこそなのだ。もちろん、それが世間の苦情を浴び、ズボンがズボンになってしまっても、おれの愛は変わらぬが、もしも「諸事情により中止」になることを怖れるのである。「真偽はわからないけれど、ラジオを聴いていると実際に志願している人もいるようだよ」とかは言わない。ただ、この嵐が過ぎ去るのを待つ、それだけである。下手に賛否の両陣営に着火してしまって、炎上が続く、これのみを怖れているのである。だからこそ、おれは「この世に狂気による表現、しかし、そこに魂が宿ってしまったこと」について力説するつもりもないのである。ただ、ただ、一過性の風が吹いてしまったということを願うのみだ。そして、おれのRtBが成就することを願うのみなのである。

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