そして、井上尚弥には笑うしかない

井上尚弥をいかに遮断するか、がおれの課題だった。なにせ井上の試合は日本時間で午前4時だか5時だか。そのうえ、WOWOWの独占生中継。おれはWOWOWを見られない。そして、このためにWOWOWに加入するほどのボクシングファンというわけではない。

が、幸いにしてフジテレビで録画放送をする。午後9時。かなりむずかしいミッションのように思えた。そこまでのボクシングファンではない、のではあるが、おれの趣味というのは浅く広くスポーツに向いていて、そのおれが主にネットで拾う情報はそれである。そこに、井上尚弥が入ってくるのは避けられない。

拾う、と書いたが、いまどきのインターネット、SNS、あるいは携帯端末、こちらから能動的に「井上尚弥 結果」などと検索をかけなくとも、自然と入ってきてしまう。そういった情報との関わりは、弊害もあるのだろうが、基本的に好もしい。偏った分野の情報を得たいのだから、そこを提示してくれるのはありがたい。

が、こういうケースに限っては弊害だけである。「え、べつに結果を知っていても試合は楽しめるでしょ」という人もいるだろう。だが、おれは、そういう人ではない。競馬にしたって、準メーンの1600万下だって、結果を知らずに録画を見たい。そういう人間だ。

なので、おれは細心の注意を払って日曜を過ごした。生中継のテレビは見ない。たまに差し挟まれるニュースを警戒して、ラジオの競馬中継もレース実況時のみ再生した。携帯端末も、馬券の購入のみにして、うっかりニュースサイトやSNSを立ち上げないように苦心した。

……オークスはシャドウディーヴァを本命にした。フローラステークスでも本命にしたのだが、その前走、岩田康誠必殺のイン突きにやや失敗して行き場をなくすところがあり、それでも最後はよく伸びてほとんど勝っていた(それなりに競馬歴が長いおれが、ウィクトーリアに先着してると思ったくらい)。さて、本命不在のオークス。おれは桜花賞スキップという段階からコントラチェックを本命にしようと思っていたのだが、「なにか違うかもしれない」と思った。決してレーンの過剰人気を嫌ったわけでもなく。理由はよくわからない。だったら、今年のクラシックで大局的に外れのないアンカツの推すラヴズオンリーユーか? しかし、こちらは人気しすぎているような気がした。そこで、シャドウディーヴァが浮上した。枠も悪くない。今度こそ岩田のイン強襲がハマるのではないか? 結果は、直線あわやというところもあったが6着。馬も人も力を出し切っていたと見えたので後悔はない。まあ、どんな本命にしてもカレンブーケドールは見えてなかったので逆にさっぱりしたもの。

閑話休題

ともかく、おれは井上尚弥の遮断に成功した。成功して、午後9時を迎えた。フジテレビは煽り映像を流す。1時間の番組で、30分くらい流した。これは一種のネタバレである。試合が、早く終わったのだ。果たして、どちらが勝ったのか……。

モンスター、井上尚弥でした。ええ。おれは、2ラウンドで最初のダウンを奪ったとき、思わず声を上げて笑ってしまった。そして、2つ目のダウン、3つ目のダウン。笑いが止まらなかった。2つ目のダウンのときのロドリゲスの表情、首を振って、「あかん、なにこれ、あかんやろ」ってなっていた。

言うまでもないが、おれはロドリゲスの弱さを笑ったりしたわけではない。むしろ、拳でもって殴り合いするしかない世界で、頂上まで上り詰めてきた人間同士の真剣勝負、それを笑っていいはずがあろうか。

でも、おれは笑った。こういう笑いをなんというのだろうか。圧倒的な、でたらめな強さの、そのでたらめさには笑うしかないのか。本当に畏怖すべきものには笑うしかないのか。ともかく、おれは笑ってしまった。とんでもない、化物、井上尚弥。モンスター。

おれには技術的なことなどわかりはしない。ただ。前の試合の一撃もそうだったが、相手が「その角度で食らったらだめだろ」というところに、ガツーンと一撃を食らわす。もちろん、パンチ力自体が強い、ということもあるのだろうが、その当て勘のようなものがすごい。隙を見逃さないところがすごい。仕留めるところがすごい。ほんとうに、笑ってしまうくらいに。

プロフェッショナル中のプロフェッショナル、世界チャンピオンが語るとこうなる。

井上の圧勝劇を田中恒成はどう見たか 勝負の決め手は「左フックの角度」 - スポーツナビ

「ロドリゲスの右ガードは高いままなんですけれど、そのガードの内側から入る軌道になるように角度を縦に変えて(縦拳で)、顔の正面をめがけたフックに変えることで、側面のガードが高かろうが関係ないパンチになりましたよね。プラス、ロドリゲスも左フックを打ちにきているので、体が右側を向く(井上に対して、より正面を向く)。だからこそ、ドンピシャで入りましたし、効いて当然ですよね。あれで完全に決まったと思います」

あれで、完全に決まったのだ。

さあ、次はノニト・ドネア。おれはドネアのほんとうの凄みを知っているわけでない。だが、たぶんドネアも「笑うしかない」くらい強いボクサーなのだろうと思う。だが、おれは、次も「これには笑うしかないよな」という井上尚弥を見たい。そう願っている。

 

怪物

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