ふと気づいてみれば、おれは人生の秋を生きていた。
これといった種も蒔かず、水もやらず、おれはまったくの空っぽだ。
ただ、年齢に刻まれる数字だけは否定しようがない。
知り合いの知り合いの話。その人は余命数ヶ月の宣告をされた。
その人は身辺整理をし、死にのぞんだ。
ところが、認可されたばかりの新薬がぴったりと効いて、病気が治ってしまった。
一度死んだ身と、福祉に関するボランティアを精力的にこなしている。
その人が言うには、今どきは年齢に0.7をかけたくらいでちょうどいいという。
おれは40になるので、28歳。なるほど、おれはそのていどくらいかもしれない。
まあ、おれが何歳であろうと、おれが一人であることはかわりない。
おれがおれを一人と思うとき、おれは愉悦のようなものすら感じてしまう。
おれは一人で、人生の秋をむかえた。
この世界の黄金の終わりに。
寒い部屋で一人。一人死ぬとき。
公園にいるすべての人間が亡霊にみえるとき。
ここは暗くて落ち着く。
命の向かうところは一つしかなく、それは避けることができない。
暮れゆく世界よ。
道を外すことは、だれにもできない。
われわれは一人ひとり、寒い冬に向かって歩く。
その先に春を信じることができる人は幸いである。
でも、おれはさ、秋の黄金にただ身を委ねるだけなんだ。
いつまでも続くことのない、この寂光の世界。