日本国憲法前文(黄金頭案)

たぶん、高橋源一郎の本で紹介されていたのだと思う。

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「国民のコトバ」のなかで、いろいろな国民が書いた「憲法前文」の文章が紹介されていた。そういったものを集めた本が紹介されていた。それはなかなかに面白い試みのように思えたし、いつか手にとってみようと思っていた。

 

私たちが書く憲法前文

私たちが書く憲法前文

  • メディア: 単行本
 

それがこの本である。

読んでみた感想を率直に書くと、「面白くねえな」だ。どうも学校単位とか、そういった募集もかけていたものらしく、そんなんでは自由でふざけた発想も出てこない。そして、「中央公論」の読者が書き送ってくるものは、やっぱり真面目だ。

どのあたりが真面目なのか。皇統というものを重視した右寄りのものもある。あるいは、今の日本国憲法に欠けているという環境について述べたものも多い。なかにはちょっととんがって、車社会を糾弾するものや、禁煙、禁酒を憲法前文に記してしまう人もいるが、それは少数派だ。おしなべて真面目、解説文も真面目、あまりおもしろくない。

……と、おもしろくない、などと述べてそれでいいのだろうか? 「そんなことを言うなら、おまえも書いてみろ」という声が突きつけられているようである。そんなら、書いてやる。

 

日本国憲法前文(黄金頭案)

日本国民を含む世界人類に、自ら望んでこの世に生まれてきたものは一人たりとて存在しない。この事実を憲法における大原則とする。

その原則に基づき、一人の国民がのんべんだらりと無為無作で生きることを望むのであれば、国家がそのための衣食住その他最低限度の文化的生活を営む諸要件を一生涯に渡って準備することを至上の目的とする。問題は、まずだれもが食えることである。

そもそもこの世に新たな人類が生み出されるのは、新たなる辛苦をこの世に付け加えることにほかならず、できるだけ新たなる出生を抑制するべきである。とはいえ、この世に生まれてきてしまったものをあえて殺すべきではない。それも不幸を増やすことにほかならない。生まれてきてしまった人間は性別や心身の状態、あらゆる要素において平等に不幸な存在であって、この地獄の同胞である。不幸な存在同士、同情をもって生きるに越したことはない。

国民のなかには精力的な生を選択するものもいるだろうが、勝手にすればよい。ただし、富の一極集中により、やる気のないものへの分配が損なわれてはならない。ほどよく労働することを否定するものではないが、労働を否定したいものを否定することがあってはならない。

政治などもかったるいのでやりたいやつがやればいいが、ほどほどの権力を与えるに留める。外交なども面倒くさいし、戦争ともなればほんとうにうんざりすることなので、できるだけ何もしないで済むようにやりすごしたい。

地球環境に配慮しても配慮しなくてもよい。どうせいなくなる人類なれば、そのときに人類に都合のよい振る舞いをしてもよいが、地球環境に道をゆずっても悪くはない。

この憲法に反対するものがあれば、反乱を起こし、革命を成し遂げても構わない。この憲法は人間精神の発露を封じ込めるものではない。勝手に生きろ。

この世界に崇高な目的など存在しないし、人類は滅びてもよい。今、孔雀が死んだ。この憲法が達成されるときは、国民というものが存在せず、人類も存在しないそのときであることを宣言する。とはいえ、この国の憲法を他国に強いることがあってはならないし、賛同するものがいたら、それは勝手にそうさせておけばよい。

 

 

……この「前文」のあとにどんな憲法が書かれるのかしらない。「なにをくだらないことを言ってるんだ」という人は、ぜひ自らの「憲法前文」を書いてください。

日本国、弥栄!

以上。

 

追記:書こうと思って忘れていたけど、「で、おまえは改憲派なの? 護憲派なの?」という話もあると思う。現実の日本国憲法についてだ。おれはなんというか、いわゆる「護憲派」ではないように思っている。その理由は、この国の憲法自身、第9章に「改正」の項目があるのだから、「憲法をまもれというなら、改正も肯定しなくちゃいけないだろう」というだけのことだ。時代に応じて改正されていいはずだ。いわゆる「護憲派」は、なにやら王権神授説くらいのイメージで「護れ」といっているように見えることがある。個人的な偏見かもしれない。偏見だったらごめんなさい。

で、上にも書いたがこのご時世、ちょっと自然環境とかにも触れといていいんじゃないの、くらいは思っている。とはいえ、今現在の政権与党の元において行われようとしている、まあ要するに安倍晋三首相が望む、自民党案の改憲には明確に反対する。その理由は、おれの「憲法前文」を読んだらだいたいわかるでしょう。たぶん。