石牟礼道子に相対するには力が要る 『水はみどろの宮』を読む

 

水はみどろの宮 (福音館文庫 物語)

水はみどろの宮 (福音館文庫 物語)

 

おれは石牟礼道子を偉大な文学者にして「おばあさま」のような存在と思っている。しかし、全部読んだとは言い難い。むしろ、あまり読んでいないといってもいいかもしれない。『苦海浄土』だけで石牟礼道子は語れない。しかし、石牟礼道子は強烈だ。強烈というのも趣のない言葉だが、あまりいい表現が思い浮かばない。そして、その強烈な存在に相対するには力が要る。おれは何作か跳ね飛ばされている。

ようやく、『水はみどろの宮』を読むことができた。おれの中では格闘のようなものである。べつに難解な言葉で綴られているわけでもない、話はちょっと突飛だけれど、べつに人を拒絶するようなものでもない。ただ、その文章の質の高さに圧倒されてしまうのだ。

 村の祭りが近づくと、舟着き場から離れて、流れて大きく曲がった河原に、ときどき、山の衆たちが小屋がけをしに来ることがある。その小屋には見事な竹の籠を上手に作る人たちがいて、村に売りにゆくのを見ることがあった。しばらく川で米や芋を洗ったり鍋をかけて煮炊きしているが、ある朝、小屋は跡かたもなくなって、もとの河原に戻っている。どこかの山奥へ、その人たちはゆくのだということだ。爺さまはそんな人たちの手つきを見ていて、見よう見真似で、笊や籠のつくり方を覚えたと言った。

どうだろうか、この語りの流れ、展開、かなわんじゃないか。

 空はさあっと青い真珠色になってひろがり、おおきくまわりはじめた。

 光の輪が、しずかな海の波のように幾重にも沈んでゆく空を背にして、ごんの守がすっくと立っている。さっきお葉が、白いキノコをとろうとした大岩の上だった。鉄色に光る錫杖を、がっしりにぎって立っている姿を、爺さまが見たらなんというだろう。

 「穿の宮のな、ごんの守ちゅう狐は、位のよか狐ぞ」

 ときどきそういうのを、お葉は聞いている。岩の上には、おおきなマユミの木がくっきりと夕空に浮かび出て、高い影絵になっていた。空のななめの方には、淡い夕方のお月さまが浮かんでいた。

まさに情景という言葉にぴったりではないか。文章は比喩から腐ると高橋源一郎は言ったが、ここにはそんな心配はいらない。どこまでもすがすがしい美しさがある。

六根清浄 六根清浄

水はみどろの

おん宮の

むかしの泉 むかしの泉

千年つづけて 浄めたてまつる

千年つづけて

浄めたてまつる

もちろん、石牟礼道子には巫女的な凄みがある。ときにそれは仏教のように現れ、ときに日本の神の言葉にもなる。

 「仏説阿彌陀経」は節もあんまりなくて、みじかい言葉が続く不思議なお経である。かねがね和尚さまは弟子たちにこう教える。

 「これはな、お浄土の音楽じゃ。死んで仏になったものも、鳥もけものも、お浄土に遊んでいるがごとく、天女の手から花が舞うようによまねばならん。ことばの意味をあんまり考えるな、むずかしかけん。それよりは、遠いあの世から送られてくる、花の声と思うて、となえよ」

山のけものたちと、その信仰と、仏教とがすべて一体となっている。その射程。

 マユミの森はいつもの時期には、ふつうの木の葉の色をしているので、うっかりしてるとわからない。秋になって、山に最初の霜が下りてから、マユミの葉っぱと花鈴のような小さな実が、うす紅に染め出されてくる。そして今日のように、東の空は重く暗く、西の空は青瑠璃色に冴え、茜の色を増しながらどっと昏れる日は、この古い森が、息をのむような色になって、浮きあがるのだ。秋の夕暮れの、それは一瞬のことだ。

もう、研ぎ澄まされた詩のよう。とまれ、この自然描写の凄み、木も森も見ることができる、その眼というものか。あるいは、木や森と一体になっているのだろうか。おれにはわからん。

 というわけで、おれはかなりの力を絞り出して『水はみどろの宮』を読んだ。とはいえ、これ、児童文学なのである。児童文学の雑誌に書かれたものなのである。文庫版あとがきに「単行本になってみると、読んで下さったのはおとなばかりのようだった」とある。いくらルビを振ってあっても、そりゃそうだろうと思う。一方で、子供がこんなすてきな言葉に触れたら、それは何学年分もの「国語」の授業にまさるんじゃないかとも思えるわけだ。

あと、本書は猫好きにもおすすめです。あとがきから。

 黒猫おノンと白い子猫は、わたしの仕事場での、大切な家族だった。死なれてしまってたいそう悲しくて、ついにこういう姿で蘇らせたのである。死んだ姿をみて、つくづく、「変り果てるとはこういう姿をいうのか」と思ったが、蘇らせてみたら、生き生きと霊力をそなえ、もう死なない姿になったと思う。

 

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