石牟礼道子の作品に向かい合うのはたいへんな力がいる。が、〈句・画〉集ならどうか? そう思った。
思いのほか力が必要だった。まず、おどろかされるのが画だろう。パーキンソン病を患いつつの画のすごみがある。世界への深い洞察がある。牛の画など、これはすげえなと言わざるを得ない。
では、句はどうなのか。これ、おれが句心というものがないのでよくわからない。よくわからないが、自身による解説がついているので、何を書こうが蛇足というものだろう。なんとなく気になるのは次のようなものだ。
泣きなが原化けそこないの尻尾かな
大分県九重町に「泣きなが原」と呼ばれる、伝承のある原っぱがあるという。
きょうも雨あすも雨私は魂の遠ざれき
雨は涙とのこと。「遠ざれき」は九州の方言で魂がたすらって行方不明になることという。
きりがないのでやめる。
本書のタイトル『色のない虹』について編集後記にこうあった。
この「色のない虹」ということばは、ディキンスンの詩の一節「あなたが去ったあと/人はもう虹に色は見ないという/確信」を踏まえて
とのことである。石牟礼さんがディキンスンの詩に関心を持っていることを知った翻訳者の甥が献本したとのことだ。ディキンスンといえばアメリカの詩人だが、おれがその名を知ったのはシオランが彼女を敬愛していることを知ったことからだった。まさか石牟礼道子―ディキンスン―シオランというつながりがでてくるとは想像もできなかったので驚いた。
そんなところである。「あなたの歌には猛獣のようなものがひそんでいる」と言われたらしい石牟礼道子の句、ちょっと読んでみてはいかがだろうか?