1998年・1999年川崎記念を連覇するなどGI・4勝のアブクマポーロ(牡29)が、繋養先の吉田牧場で死亡した。22日、船橋ケイバが発表した。
アブクマポーロは父クリスタルグリッターズ、母バンシユーウエー、母の父ペールという血統。生年月日は1992年2月27日。
おれはこの訃報を聞いて、次のように書いた。
アブクマポーロが21日死亡、メイセイオペラ下した東京大賞典など交流GI・4勝 | 競馬ニュース - netkeiba.com
- [競馬]
- [訃報]
おれがただ一度船橋競馬場を訪れたのは、アブクマポーロが走るかしわ記念を見るためだった。授業の後で、レースに間に合うかどうかぎりぎりの時間だった。おれと同じように早足で歩く背広の男がいた。
2021/02/22 17:02
おれがこの追憶を書くのは初めてではない。何度もこの日記に書いてきた。
過去の勝ち馬の筆頭に挙げられているアブクマポーロ、俺が唯一船橋競馬場を訪れたときのレースだ。大学の授業が終わったあとに駆けつけて、ギリギリそのレースと最終だけ見ることができた。駅から競馬場まで、早足のサラリーマンと激しい合わせ馬状態になったのを覚えている。
船橋競馬場の印象、あるいはフリオーソが三角を回ったとき、雨がまた降りだしたこと - 関内関外日記
「アブクマポーロを見たい」。その一心で、不慣れな東京の電車を乗り継いで船橋を目指した。乗り換えを案内してくれる携帯端末などはなかったころのことだ。たかが、三田から船橋のあたり。だが、ひきこもり性質の俺には、それでも大した遠出といえた。船橋あたりのなにかの駅を降りると、ちょうど競馬新聞を持った背広姿の男が前にいた。駅から競馬場まで、高速道路か電車かなにかの殺風景な高架の下を、その男と抜きつ抜かれつ競歩したのを覚えている。
……って、あれ、おれ、船橋に行ったのはアブクマポーロの一回だと思っていたけど、フリオーソとスマートファルコンの戦いも見に行ってるじゃないの。そして写真もよく撮れている。
まあ、人間、十年前の記憶なんてなくなるものだから仕方ない。
それよりもおれは、アブクマポーロが徳吉のパーソナリティワンにどう勝ったか覚えていないというのが実際だが、競馬場までの道のり、背広の男と速歩きのデッドヒートを繰り広げたことは確実に覚えている。おれはアブクマポーロが見たかった。あの男も見たかった。いや、ひょっとしたらあいつは穴狙いで、フジノマッケンオーに賭けたかったのかもしれないが。今となっては、確かめようのないことだ。
それにしても、netkeibaの写真の石崎隆之の若いこと。あの頃は石崎隆之と的場文男が南関をプイプイ言わせてて、戸崎圭太なんてあんちゃんだったかどうかくらいのころだったな。その戸崎もサウジアラビアでダービーを勝つのだから、まったくもってなにがどうなるかはわからない。
まあ、そんな競馬世界だ。天国から見ていてくれ、チャンピオン、アブクマポーロよ。
かしわ記念|1998年05月27日 | 競馬データベース - netkeiba.com