雑誌『テクノポリス』と学校の図書室とおれ

寄稿いたしました。

blog.tinect.jp

徳間書店をはじめとする徳間グループの創業者にして、我が母校逗子開成中学校・高等学校の校長、理事長だった徳間康快(ちなみにどこにも書かなかったけど、心の中でもタイピングでも「とくまこうかい」で、「やすよし」の印象はないです)の話です。しょうもない思い出話もありますが、なかなかおもしろい人のことなんで、ぜひお読みください。

 

で、書ききれなかった思い出を書く。学校の図書館のことだ。徳間書店の本が置かれていたのである。学校の図書館らしくないアニメの雑誌やムックとか。ただ、『アサヒ芸能』はさすがに置いていなかった。

 

が、『テクノポリス』が置かれていたのである。なんの雑誌か。18禁美少女ゲームの雑誌である。エロ本といってもいい。どういう判断だかわからない。とにかくあったのだ。

 

それで、今回ちょっとWikipedia漁っていて、『テクノポリス』の項目があるのを知った。

テクノポリス (雑誌) - Wikipedia

『テクノポリス』は、1982年から1994年まで徳間書店(後に徳間書店インターメディア)より発行されていたパソコンゲーム雑誌。通称はテクポリ。 

 

うむ、それはいいんだが……と、思って読み始めると意外だった。初期はまじめな(?)パソコン雑誌だったのだ。時代の先端を行ってるといっていいのかわからないが、そういう雑誌だった。

https://web.archive.org/web/20190126172645/http://t-kun.sakura.ne.jp/fo/room03/mz12.htm

 

1980年代中期になるとパソコン市場が成熟し、ユーザーの主な関心は市販ゲームソフトに移った。また、CGプログラムは今まで黙認されていたアニメキャラクターの版権問題が徐々に取り上げられるようになり、掲載が難しくなった。そのため、1986年1月号から「パソコン・ゲームベンチャーMagazine」と売り文句を変え、機械語のプログラミング講座などは終了し、ゲーム紹介やその攻略を中心としたものに変化していった。

 

が、こんな方向にかじを切って。

 

1980年代後期になると、ファミコンを代表とする家庭用ゲーム機が一般化し、ゲームを遊ぶ装置としてのパソコンの優位性は急速に失われていった。以後、パソコンゲームは家庭用ゲームでは扱いが難しいアダルトゲーム・同人ソフトを中心に発展していくこととなる。

以前から度々美少女ゲーム特集を組んでいた本誌もこの流れに追随し、「ちょっとカゲキな パソコンプレイングMagazine」として、パソコンの美少女ゲームを大きく取り扱う雑誌へと変化した。

 

こうなった。おれが知っている『テクノポリス』はこれである。

 

おそらく、最初は「日本一の学校」を目指す先進的な学校の図書館にふさわしい本として『テクノポリス』が置かれていたのであろう。それが、いつの間にか雑誌がエロ本になってしまって、それでもなぜか学校への配本は終わらなかった。そういうところだろう。いい加減な話である。

 

とはいえ、逗子開成がパソコン教育に熱心だったのは確かで、その当時は珍しいパソコン室みたいなのがあって、「とにかくブラインドタッチ(死語)を覚えなければ話にならない」といって、中一の最初の最初から、校長だか教頭だかがプログラミングしたソフトでタッチタイピングを叩き込まれた。これは今でもありがたい教育だったと思っている。

 

で、『テクポリ』とおれ。おれと『テクノポリス』。うちにはPCなどなかったし(新しもの好きの父親がMSXとか買っていたが)、エロゲーの存在も知らなかった。が、知ってしまった。それでどうなったか。さすがに「エロゲーをやりたいのでPC98を買ってくれ」とは言えなかった。そのうち新しもの好きの父が買ってきたのはMacintosh LC2だった。

 

でも、おれは買うようになったな。何を? エロゲー雑誌を。各種エロ本のなかの一ジャンルとして。ゲームをプレイするパソコンも持っていないのに。そうだよ、まだインターネットなんてなくて、みんなエロ本を買っていた時代だよ。みんなは主語が大きいかもしれないが、性に興味津々な男子校の中高生はエロ本買っていたんだよ。18禁ではないのか、とかかたいこと言うなよ。みんなそれぞれに「エロ本を買える書店」を持っていたものなんだよ。そんでおれはエロゲー雑誌を……。

 

……と、恥ずかしい話題になったので、ここでおしまい。しかし、学校にエロ本の一ジャンルを教わるというのも珍しい話ではあるまいか?