カレーの左右なんてマナーで論じたら面白くないだろ

寄稿いたしました。

blog.tinect.jp

 

 

東海林さだおの「貧乏」アンソロジーを読んで、今の令和には「貧乏」がなくなったな、という話です。昔はまだ日本も上向きで、今は貧乏だけど、みたいなところがあったかもしれない。貧乏でもどうにかなるかんね、というところもあったかもしれない。でも、今はもう先も見えなければ底も抜けている。そんな感じ。そして、おれが愛読してやまない東海林さだおの文章も、今の基準で見ると時代を感じてしまう……といったところ。

 

あ、ちなみに、ショージ君(急にショージ君呼びになるのは気にしないでください)は、店やお客さんに迷惑をかけるようなことはしません。というか、できません。必死に店と攻防を繰り広げるのです。攻防といっても、ショージ君の独り相撲というか、内心の葛藤というか、自意識過剰さであって、まあそこが見どころ。

 

で、この本でも見どころになるのは、やっぱり食べ物のこと。というか、ほとんど食べ物のエピソード。ショージ君の食べ物に向かい合う視点の面白さといったらない。イナダシュンスケ(稲田俊輔)さんも東海林さだおを敬愛しているというが、食のプロになった人から見てもそうなのだ。

 

で、こんな話題をネットで見た。

togetter.com

マナー講師がカレールー(ルーは素材なのでこの言い方はおかしいのだろうが、まあルーということにして)の位置について「ライスが右、ルーが左がマナー」とか言っていたらしいのである。

 

これはなんというか……非常に惜しい。「カレーのルーは右側にあるべきか、左側にあるべきか」というしょうもなく細かい視点は面白い。どうでもいいが、面白い。ショージ君だって、「ルーとライスの食べるバランスに気を使うので、カレーを食べるのに疲れる」とか、「人がルーばかり食べて、最後にライスだけまずそうに食べているのを見ると、その人の老後が心配になる」とか、しょうもないことを論じてきた。カレーとルーが別々に提供されたときどうするべきか。「カレーライス」なのか「ライスカレー」なのか。福神漬やらっきょうが備え置きでなくカレーと一緒に運ばれてきたら、その所有権はどうなるのか……。

 

どうでもいい話である。だが、そのどうでもよさがいい。人間、生きていてどうでもいいことがなくては息が詰まる。で、カレーの左右である。これを論じてみるのも面白いだろう。だけど、マナーの話となるとどうなるか。まったく面白くない。上等な料理にハチミツをブチまけるがごとき思想である。

 

なおかつ、そのマナーの理由として「食べ終わったときライス右のほうが皿がきれい」というのがいけ好かない。いや、その発見自体は面白い。が、それは「右か左か」としょうもなく悩んだうえで、食べ比べてみて発見したという、しょうもないものであってほしい。マナーからの合理性、いや、合理性からのマナーだろうか。そうなると途端につまらない。

 

なので、このカレー左右論は惜しかった。上の本であとがきのユザーンが「東海林さだおなら白湯(さゆ)だって面白いコラムにできる」みたいな持論を語っていたが、これこそ東海林さだおに書いてもらうべき案件だったのだ。どうだろうか。全日本カレー協会とかもこれには賛成してくれるんじゃないだろうか。