
フジテレビの記者会見があった。どうしてこの会見が開かれることになったかは省略する。
こんな記者会見を見るやつと見ないやつに分かれると思う。フジ系列をはじめとしたメディア関係者でも、スポンサー企業の広報担当でもないのに、こんなものを見るやつはどうかしている。長時間見るやつはどうかしている。見るやつと見ないやつでは生涯年収に差がある。おれの妄想はそう調べた。
おれは「見るやつ」だった。午後4時の開始から、職場でYahoo!のトップの動画をこっそり流した。仕事が終わってスーパーに寄って、アパートに帰る途中に会社からトラブルの電話があって引き返したりした。
それでも、おれは帰宅すると、このところ使っていなかったタブレット端末を引っ張り出してきて、YouTubeで記者会見を流した。流しながら酒を飲んだ。スーパーで買ったポテトサラダを食べながら。見始めてしばらくは、テレビの方でぶっ通しの生中継をやっていることに気づかなかった。
おれは、タブレットで放送を流しながら、5chの実況スレを見ていた。古風なインターネット老人だ。しかし、人が減ったとはいえ、5chのスレはものすごい速さで消化されていった。おどろくべき速さだった。
しかしなんだろう、おれはこのような会見を見ていて、「自分だったらどうしよう」と思ってしまう。これは記者会見などに限った話ではない。バラエティ番組とか見ていてもそう思う。お笑い芸人がエピソードトークをしていたり、大喜利に答えるのを見ていると、「おれだったらどうしよう。なんにもできねえ」となってしまう。フィクションを見ていてもそうはならない。
この記者会見で、「自分だったらどうしよう」と思ったのは、記者の側だ。フリーの人もいるだろうが、会社の命令で来ている人もいるだろう。ノルマ的に質問してこいと言われている記者もいるだろう。困っちゃっている記者もいるだろう。
手を挙げなければならない。これはプレッシャーだ。あなたは学校の教室で進んで挙手したタイプだったろうか。おれは「先生に指されるのが怖い」人間だった。無差別に指してくる教師は大嫌いだった。
超長時間記者会見にはいろいろな感想を抱いたが、おれのなかの一つにそれはあった。もし自分が雇われ記者だったらどうしよう。前提条件や周知の事実を間違ってはいけない。記者会見のルールに反することも言ってはいけない。もう出ている質問と被らないようにしなくてはならない。質問は簡潔で、なおかつ意味のある答えを引き出すものでなくてはならない。「今の質問者の間抜けはどこのだれだ?」とネットに書き込まれるようなことがあってはならない。
が、どうもなんというか、フリーランスやネットメディアの人に多かったが、ここを自説開陳の発表会だと思っているようで、長々と話をして質問の要点がわかりにくい記者もいた。感情的になっている記者もいた。大手メディアはだいたい質問にまとまりはあったが、内容が重複していたり、べつに鋭い質問でなかったり、いまいちな場合もあった。
なんだ、みんな駄目じゃねえか。いや、みんな、ではない。中には「今のはいい質問だった」というケースもあった。が、いま、それがどこの誰だったか名前を挙げることはできない。なぜって長すぎたから。
勘違いしないでほしい。さすがにおれもこの会見を最後まで見ることはなかった。さすがに飽きるし、眠くなってきた。せめて、港社長が港元社長になるくらいまで見るかと思った。ディレイも考慮したうえで、そうなってからさらに三十分くらい見て、テレビを消した。生涯年収に影響がある。
それでも印象的なところはどこだったろうか。「不同意だった」と言って、それをあとになって撤回した流れだろうか。しつこく中居正広と当事者女性の間に一致があったか不一致があったか、すなわち同意があったかなかったかを追及している記者もいた。一人で、長々と、感情的になりながら。
まあ、そこは要点の一つではあろう。「同意の可能性があった」という、フジテレビにとっては悪印象のコメントを引き出したかったのだろう。あるいは、中居正広の有罪性(刑事事件としてではない)をフジテレビに言わせたかったのか。
しかしながら、一致があって、同意があったならば、中居正広自身が述べる「トラブル」の事実はなかったし、示談もなかった。さらにはフジテレビを巻き込んだトラブルにもならない。まあしかし、言質というものだろうか。ただ、こればかりは当事者二人、少し広げても示談になるまでに関わった医師と弁護士しかわからない話だし、なおかつ口外できない話ということになるだろう。現段階ではフジテレビに聞いても無駄なような気もする。
会社の関与、というところが問題になる。「当事者女性が会社に相談したということは、女性は会社が大いに関与している問題だと考えていたのではないですか?」という質問はどうだろう。弱いし、ずれているかもしれない。「お気持ちをこちらから推察することはできない」と言われておしまいだろうか。
話は変わる。トイレの話だ。あるていどの時刻になると、YouTubeも5chも「トイレ」の書き込みが多くなった。おれももちろん気になった。おれはトイレを気にする人間だ。将棋のタイトル戦とか見ていても、トイレが気になるタイプだ。盤上でどんな熱戦が繰り広げられていようとも、「ああ、この棋士、一分将棋になる何分前にトイレに行ったっけ」とか、「記録係は我慢していないか? 大丈夫か?」などと思ってしまう。おれの仕事は自由に離席できるので、好きなときにトイレに行ける。もしもトイレに行けない職場に転職したら、いったいどうなるのだろうか。試合前のボクサーのように水抜きをして仕事に行くかもしれない。
というわけで、司会者がトイレ休憩を入れたときは安心した。最初から「二時間に一度、休憩を挟みます」とか決めておくべきだろう。最初は二時間で終わると思っていたのかもしれないが。会見側から「すみません、お手洗い」とは言いにくいだろうし、記者も「ご自由に」と言われていても、席を抜けている間になにか重大な発言があったら、上司から叱られるかもしれない。最初から決めておくべきだったのだ。不規則発言とか、みんなイライラしていたからじゃないのか。もっと大事な人権の話についての会見だったかもしれないが、トイレも人権だと言いたい。
まあ、人権といえば、あれだけの高齢者に超長時間記者会見させるのはどうか、という話もあるかもしれない。港社長などはけっこう早い段階で参っていた。「港社長を攻めれば、なにかポロッと漏らすかもしれない」という雰囲気があったんじゃないかと思うくらいだ。それでも、おれが寝てからさらに二時間くらいやっていたのだから、大手企業の役員になるような人間、あるいはテレビ業界の人間のタフネスというものはあるのだろう。
しかしまあ、なんだろうね、翌日になってヤフコメなどの反響を見ていると、記者の質問のレベルの低さを指摘するものが多かった。フジテレビを応援したくなったという人もいる。たしかに、レベルの低い質問が多かったのも確かだ。あの構図では、高齢者を吊し上げているように見えることもあるだろう。だからといって、おれはどうにもフジテレビを応援するような気にもなれないのだが。
なぜかといえば、やはり問題を自社のコンプライアンス部門に共有させなかったのは、たいへんな過失のように思うからだ。もちろん当事者女性の医師もとい意思もあるだろう。あるだろうが、会社においてそういうことが起きたら、あるいは社長の耳に入れるよりも、そういった部門に話をもっていくべきじゃないだろうか。フジテレビのコンプライアンス部門が信頼できるものかどうかは別として、それが道ではないだろうか。その道を通ったところで、より当事者女性によい結果になったのかどうか、悪くなったのか、変わらなかったのか、そのあたりはわからないが。
AC地獄はしばらくつづくだろう。記者会見の内容以前の問題として、第三者委員会を設置することを決めた以上は、その結果を待つのが筋だからだ。もし、今回の記者会見で、「すべて会社ぐるみの問題だった。A氏が当事者女性を中居正広に上納したし、そのような企業文化はたしかに存在して、類似事例も山ほどある。日枝も自分たちも責任をとって全員辞める」といって謝罪したらどうだったか? しかしまあ、それはそれで、そんなダークな企業のスポンサーはいなくなるか。
着地点は、まだよくわからない。だれにとっての着地点かもよくわからない。おれは前に「キー局がなくなるということがあるなら、それは見てみたい」と書いた。その思いはある。とはいえ、本気で信じているとは言い難い。そのように書いた。今もその思いは変わらない。本気で信じているとは言い難いという点もふくめて、そうだ。また、今日になって文春の訂正記事の話なども見た。「やはりこういう話だったのか」となるのか、「なんでもないのに、こんなおおごとになったのか」となるのか。もちろん、中居正広と当事者女性の間に「なんでもない」では済まされないことがあったであろうことは推察される。とはいえ、その内容が公になるということは、この二人のどちらかが公表する以外にないだろうし、そういうこともなさそうだ。
その内容とは関係なく、あたかも業務の一環のように、会社ぐるみの上納のようなことが行われていたとなったら大問題だ。それがあったのかどうか。会社ぐるみではなく、A氏だけの問題で終わる可能性もある。どうなったら、どうなるのか。おれは生涯年収が低いので、こんなことばかり気にしている。こんなことばかり気にして、ろくに稼ぐこともなく、老いて、死んでいく。あるいは、老いるまえに死ぬ。この記事のタイトルはアルベルト・バーヨの教本からパクったが、だれもそれには気づかない。