上野の森美術館『ゴッホ展』へ

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ゴッホとおれ、おれとゴッホ。おれはゴッホについてなにからしら思い入れがあるか。なにかしら、「この一作」というものに出会ったか。答えはノーである。おれはゴッホの作品について、「これはすげえ」と思ったものを見たことはなかったし、そもそもゴッホがメーンの展覧会というものに行ったことがなかった。

というわけで、上野の森美術館へ行った。女に誘われて、行かない理由もないと思った。年末のゴッホ展、入場まで40分待ち。おれは正直で有名な黄金頭さんなので告白すると、「手帳」によってスッと入れた。罪悪感のようなものがないでもない。

して、「ゴッホ展」とあるが、実際のところ「ゴッホとハーグ派の時代」とか、そういうタイトルの方が適切であろうか。ゴッホで埋め尽くされた展覧会ではなかった。

ゴッホフィンセント・ファン・ゴッホ。《疲れて果ててて》や《永遠の入り口にて》、ここから「手帳」持ちのおれが感じるのは、ゴッホが倦怠や抑うつを体験しているのではないか、ということである。とはいえ、ゴッホはいろいろの流行を取り入れて、鍛錬を積んでいる。Wikipediaなどによると、ゴッホの激しやすさは統合失調症てんかんとされているようだが、双極性障害躁鬱病/双極症)という可能性もあったんじゃねえかと思ったりもする。一気に集中して描きあげてしまう過集中、一方で、沈んでしまったり、人間関係を遮断してしまったり……。

まあ、そのあたりはわからん。今さら、精神科医とても診断しようもないだろう。でもって、ゴッホに影響を与えたものがハーグ派である。おれが「いいな」と思ったのは、今回の展示のなかではマティス・マリスの《デ・オールスプロング(水源)》、《小屋のある風景》あたりである。暗めの色調、そして、どこか日本画的な侘び寂びみたいなところがある。おれにはそのように見えた。

一方で、ファン・ゴッホというと、《ジャガイモを食べる人々》(リトグラフ)あたりということになるが、おれとしてはあまりグッとこなかった。

おれがファン・ゴッホにグッと来たものとなると、後期のものとなろうか。《麦畑とポピー》は、いったん通り過ぎてしまいそうになるが、よくよく見ると悪くない。青空を背景に伸びる麦、そしてポピーの赤。そして、おれには最晩年の作品についてさらによいな、と思った。《サン=レミの療養院の庭》、《糸杉》、《蔦の絡まる幹》あたり、このあたりがとてもよい。ゴッホというと、エキセントリックな人物像があるかと思うが、いろいろの流儀を取り入れ、緻密に活かしていったという印象を受けた。おれは、晩年のゴッホが好きである。そういうところだ。

 

以上。

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なんかわからんが、スヌーピーとコラボグッズがあったので、おれは小さいノートを買った。おれは小さいノートすら持っていなかったからだ。