おれと見沢知廉、見沢知廉とおれ。おれが見沢知廉を知ったのは、稀代のクソ雑誌『GON!』には違いない。それゆえに、おれが見沢知廉をならやたかしの『ケンペーくん』と同じように見ていた可能性は否めない。否めないが、やはり『天皇ごっこ』や『囚人狂時代』を読み、受けた影響は小さくないようにも思う。
本書は、見沢の遺品の中から見つかった4つの小説からなる。遺品の中から見つかるくらいなので、著者自身や編集者による幾度の校正を経たものではない。だからといって下手な文章だ、と切り捨てられるものではない。そもそも、見沢知廉は名文家であったろうか? そことはべつの、なにか「本物」であること、それが溢れ出るところに魅力があったのではないか。
とはいえ、表題作の『背徳の方程式』などは、いまいちピンと来ないのである。バブル時代の東京、性的倒錯、そこに合うのか合わないのか、見沢の筆致。これを削り、付け足し、完成度を高めればよいのかもしれぬ。しかし、そういうわけにもいかない。いかなくなってしまった。
となると、俄然おもしろくなるのは、成田闘争を描いた「七十八年の神話」あたりになろうか。
「T派は、誰がおるんか?」
「うう、ええと、元はっぴいえんどで最近出てるYMOの細野とか、新谷のり子とか、最近出た糸井重里とか」
「なんか、いかにもそないな感じやな、暗くて、じとっとしてて、えたいが知れなくて不思議で硬くて、気い強そやな」
「いしいひさいち、って知ってます?」
「なんやそれ」
「最近出てきた漫画家で、元K派なんですよ」
「K派なら、変わってるやろ」
いしいひさいちの名が見沢知廉の作品に出てくるとは思わなかった。幼い自分に強烈な印象を与えた表現者といえば東海林さだおといしいひさいちである。たしかにいしいひさいちの『バイトくん』などには、東淀川大学の学生運動を描いたものも少なくない。見沢が書いたのは小説であって真偽は知らぬが(そのままなのか、見沢が冗談で書いたのか、当時その界隈でそういう話が流布していたのか)、なかなかに興味深く思える。
とはいえ、「七十八年の神話」は戦斗の話である。
集会が始まった。深夜の集会は誰もが処女体験だった。炎を横顔に蠢動させたアジテーターが、決意表明を絶叫する。命令されたわけでもないのに、皆昂奮して絶叫し返す。活動家達は、自分が歴史になったと感じ、全身に感動の鳥肌を立てる。
「すべての同志諸君! ともに進みともに突撃し、ともに傷つきともに死のう! 同志諸君! 戦斗の幕は切っておとされたのだ!」
僕達は、狂ったように「異議なし!」を絶叫し、恍惚の頂点に舞い上がった。
この高揚感。
……石を投げる。面白いもので、普段強そうな男が臆し、繊弱なお嬢さんが炎の中に突進している。戦争は腕力でなく確信だなあ、と思った。
この観察眼。しかし、戦争は腕力でなく確信だなあというのは名言ではないか。べつに戦争する気はないけれど。
そして、本書の最後に収められているのが「獄中十二年」。野村秋介獄中十二年。下獄中に三島由紀夫の自決を知る。見沢知廉獄中十二年、下獄中に野村秋介の自決を知る。奇妙な運命。夢の中で野村に会う(作中では「野口」)。
「あそこにゃ徳球も朴烈も大杉栄も甘粕も荒畑も志賀も入ってたんだぜ」
この左右アナーキズムを問わぬ感覚。野村は今の日本を見たくなかったか。見沢もそうなのか。
山登りを一緒にして、苦しいと相手が思えば荷物も持ってあげられる。しかし山と山との間の丸太橋を一人で渡っている人には、どんなこともしてあげることも出来ないんだ。
野村から見沢へ。「死ぬ時に死ねない奴は卑怯だが、死ぬべき時でもないのに死ぬ奴はもっと卑怯だと思って死ななかった」野村。そして、自ら死ぬ時を選んだ野村。「月光に一殺多生と云う祈り」。
高木尋士の解説に曰く。
大浦信行監督は、「見沢知廉には、隙があるんです。文学にも人生にも。だから、残された我々に解釈の余地があるんです。その解釈の余地が映画にもなるし、演劇にも、ドキュメント小説にもなるんです」と語る。
好きがあるのか、数寄があるのか、介錯の余地があるのかわからない。鈴木邦男の言うように、「死後に成長する」作家なのかもしれない。久々に見沢知廉の「新作」を読んで、なにやら懐かしいような、新鮮なような気になったのは確かである。
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