ザ・どんで見たスモールサイズミー

 昼、セルテに用事。ザ・どんで飯。「月見さけとろ丼、ごはん大盛りで」と俺。店員のおばちゃん、やにわにメニューをひっくりかえして曰く「今日の日替わりセットは月見さけとろ丼の日であり、セットで注文いただければ同じ価格で味噌汁と漬け物がついてくる」旨を説明する。「じゃあ、それでお願いします」と俺は注文する。
 昼休みも終わりごろで店内は空いている。杖をついた老人が入ってくる。俺の斜め前に老人が座る。おばちゃん、注文を聞く。単品の丼の注文を受けたあと、「お味噌汁はいかがですか?」と勧める。お味噌汁注文される。そしてさらに、「ごはんは少なくできますが、いかがいたしますか?」と聞く。ごはんは少なめになる。
 続いて隣の席に、髪は総白髪だがスーツとカバンの男が座る。おばちゃん注文聞く。また、「ごはんは少なめにできますが」と聞く。男、「いや、大盛りで」と応える。大盛り一丁。
 ……はて、「ごはん少なめ」を勧めるというのは、よくある光景だったかしらん。大盛りを勧められることはある。たとえばこのザ・どんは、平日昼間はご飯大盛り無料で、そういうったケースなどは。しかし、その逆はどうだろうか。あまり見かけないような気がする。「同じ値段を払うのに、なんで減らされなきゃいけないんだ!」……ってことになりかねない。
 なりかねないだろうか? なりかねないこともないが、場所と相手を選べば、別になんてことはない話。むしろ、「ちょっと大盛りにするか」というくらいに「ちょっと減らすか」という気になるやもしらんメタボ時代。大は小を兼ねるが、大から小を引いた残飯は無駄だ。ファーストフード(どんも丼のファーストフードチェーンに入るのだろうけれども、牛丼屋にくらべたらてんやと同じくらいの余裕はある)やコンビニの弁当ではむずかしい。しかし、大盛りにするくらいのフレキシブルさで、「少なめ」を選べるように。値段に差なく、「少なめ」をチョイスできるような、広い価値観を。自給率や店のコスト、世界的な食糧危機もあるだろうし、残飯を出してしまうというそもそものあまりよからぬ食卓上のことを避けることもできる。
 「出されたものを残さず食う」という価値観。俺はもう、これに縛られている。地獄を見ても食べきる。自分がぎりぎりなのに、連れが「食べられないからいいよ」などと勧めてくると、それも行く。体にいいとは思えない。子供の肥満、成人病の低年齡化、メタボリックシンドローム、それらを考えるときに、「スマートな残し方」という作法があってもいいかもしれない。埃舞う掃除の中、冷たくなった給食を最後まで食わされるようなのではなく(今はもうそういうの無いらしいが)、腹八分と見たら無理して食べない。残してもいいという選択肢。
 が、もちろんそれは緊急避難時だ。そもそもそんなに注文しなければいい。食べられる量だけ頼みなさい、というのが第一だ。第一だけれど、やっぱりなかなかうまくいかない。はじめて入ったレストランのはじめての注文で、どれだけ出てくるかなどというのを正確に予見するのは難しい。また、自分のおなかの空き具合についてもそうだ。ものすごい空腹で多めに頼んでみたら、ちょっと食っただけで満腹感出てきたりと、一筋縄ではいかない。独り身の自炊にしたって、できあがってみてびっくりの量になる可能性だってある。また、親にとってみたら、子供に「ごはんもっとないの? おかずもっとないの?」というのは堪えるものらしい。
 とはいえ、ともかく、ちょっと食う量減らしていこうぜってのはいいんじゃねえのかって思う。飲食店にしてもさ、今やメタボと食糧危機がある意味の追い風。ポジティブに「少なくできますよ!」ってさ。でも、俺みたいな貧乏人のひかくてき餓えている人間にとっては、平均的にボリューム減らされるのは嫌なんだけれども。
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  • 肉の食い放題が日本を救う……いやあ、あれ以来、俺の肉の摂取量は激減した。夜の自炊では基本的に食べない。あと、夜に炭水化物を食うのもやめた。はっきりいって痩せてきている。痩せてきているから、上みたいなこと書くってのもある。