96年には自らの製作・監督・脚本・主演で、映画「シベリア超特急」を発表。一部のファンの人気を集め、シリーズ化された。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080611-OYT1T00457.htm
マイク水野死す、の一報。子どものころからテレビで見知っている人が、また一人亡くなった。だれもが森繁久彌のように行き続けられるわけではないのだ。
しかし水野晴郎、「水曜ロードショー」(「金曜ロードショー」)での姿もさんざん見たはずなのだが、あまりその姿は思い出せない。むしろ山下奉文大将の姿であり、『シベ超』のマイク水野、その印象が強すぎる。「あのボルシチは、めっぽううまかったぞ」、「戦争はぜったいにしてはいけない」、あの名台詞が耳に残る。
……というわけで、俺は新聞記事がマイルドに表現する「一部のファン」であったか。とてもじゃないが、そうとはいえない。俺が見たのは、テレビで深夜放送された初作のディレクターズカット版一本(を録画して二度くらい見た)。今調べて見れば、それがいったいどの版なのかもよくわからない。どんでん返しはあった。ついでに、ボルシチは「めっぽう」ではなく「けっこう」であると今知ったくらい。そして、正直言って続編、続編と「一部のファン」が盛り上げていくのを、「なんか違うんじゃねえか?」みたいに思っていたのも事実。
でも、あれをはじめて見たときの衝撃というのは、決して小さなものではなかった。そりゃあ笑いもしたし、馬鹿にしもしたし、弟とシベ超ものまねごっこしたりしたもんだ。それに、映画自体、見ながらゲラゲラ笑えるようなトンデモっぷりでもなく、退屈さがほとんどを支配している。でも、なんというか、「ああ、こういう!」という、なんというのか、アウトサイダーアートとまではいかないが、「こういうのもあるのか!」という、妙な何かが残ったのは確かだった。それが映画のスピリットだとかそんな風にまとめるのはきれいすぎておもしろくないが、しかし今日のところはそう解釈しておこう。五十年か百年後に、どこかの誰かが『シベ超』を発見したらとか想像して、そいつがどんな顔するのか想像しよう。さらば、水野晴郎、映画の人。