前に、自転車で川崎の埋め立て地をうろついた。そのあと、日記にメモするにあたってウィキペディアなどを見ていて、こんな歌を見た。
貨物船入り来る運河の先になほ電車の走る埋立地見ゆ
俺は短歌のことは知らん。まったく知らん。土屋文明の名前も知らん。知らんが、なんかわからんが、1933年くらいの、まだ若い運河、埋め立て地、なんかこう、黄金のもや、そんなイメージ、そうだ、歌集を買おう。
山谷集―歌集 (短歌新聞社文庫)
……と、アマゾンでポチッとしてしまった。とりよせに時間がかかったらしく、今日来た。さっき来た。だから、全部読んでいない。いや、短歌というのは、鑑賞なのかな。よくわからない。まあいいや。
目次を見ると、全部が全部埋立地と運河ものではないようだ。まあ、そんなスチームパンクな歌人というわけでもあるまい。そのあたりかな? というあたりから、ちょっと紹介。連作の中から抜き出して紹介するのはいいのだろうか? よくわからない。まあいいや。
「多摩川」から。
浅瀬には砂利採取機のはき出す砂利の小島に上りて遊ぶ
「芝浦埠頭」から。
肉色の塗いろ褪せし倉庫続き吹き越して来る風はするどし
セメントを荷役の船の白きほこり倉庫を越えて町の方に吹く
貨物船埋立地遠く引き入れて冬を越え青きクロバーも見ゆ
ありありて見ることもなき冬草の青き空地が倉庫のかげにあり
「鶴見臨海鉄道」から。
嵐の如く機械うなれる工場地帯入り来て人間の影だにも見ず
稀に見る人は親しき雨具して起重機の上に出でて来れる
群りて蓼の芽紅く萌えいづる空地はすでに限られてあり
吾一人ありて歩める運河の岸青き潮干はしばしだに見む
……と、このあたりの、なんかいいよね。そうだよね。
無産派の理論より感情表白より現前の機械力専制は恐怖せしむ
でも、このあたりはピンとこない。時代の差、感覚の差か。もう、なんというか、俺の世代、機械力も電脳もみなもう、ノスタルジーの中にある、そんなところがある。で、この時代の歌人が、埋立地の中に見つけた小さな風情、それがもう、機械、工場、埋立地と一体となって、最初からあるような、そんな感じなんだ。そのあたりで、なんかいいんじゃねえの? って思う。たぶん。
競馬者としては見逃せぬ地名も目次で見た。「立会川」とある連作。
乏しき職を得てこの町に住みたりきあはれ世にふる今日かへりみる
平凡に吾はあり来し吾よりも出来よき友も多く平凡に過ぎぬ