『情報の歴史』はおもしろいんだよ

寄稿いたしました。

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2000年とちょっと前に書かれたキケロの『老年論』の感想になります。

 

で、書いたとおりなんだけど、昔から人間の考えること、感じることなんて、今とたいして変わりねえな、と。いや、価値観のものすごい違いだってあるんだろうけど、ある部分については2000年経っても色褪せないところがある。すげえな、人類。

 

とはいえ、吉本隆明なんかも「紀元前350年ころには人間の思想なんて完成してたんだ」みたいなこと言ってたっけな。紀元前250年か300年か、そのあたりはあやふやだけど。

 

 

そこで『情報の歴史』の登場となる。紀元前350年となると、紀元前342年にアリストテレスがアレクサンドロスの家庭教師になっている。なんとかヘッドさんが言うには「西洋哲学はプラトンの注釈にすぎない」らしいので、そうであれば西洋はほとんど完成したのかもしれない。でも、アジアとなると紀元前500年代にはブッダが出てるし、紀元前450年ころに『論語』が成立したとされている。まあいずれにせよ、紀元前のころには思想が出揃ってたみたいな、まあ今のとびきり優秀な人類の頭と同じ頭で考えている人たちがいたということだろう。

 

むろん、なんというのか、人文系というか、そういう意味ではだ。アリストテレスが自然科学に詳しいといっても現代から見たらその差は圧倒的だ。科学技術ばかりは2000年で大飛躍した。しかしなんだろうね、古代において大差がつけられていたこの島国日本も、よう先頭集団に追いついたもんよな。東の果ての島国で長いこと占領されてこなかったからな。もしも、モンゴルにやられていたらどうなっていたんだろうかね。中国の一部だったのかな。

 

……とか、余計なことを考えてしまう。というわけで、もしも老後の学びの楽しみがあれば歴史なのかなとか、『情報の歴史』を眺めてしまうと思ってしまう。本当に見ていて楽しい年表本なので歴史好きにはおすすめしたいんだよ。

 

うーん、しかし、老年の楽しみねえ。クルメツツジの品種に‘老いの目覚’という品種があるというのはどこかで書いたような気がするが、なんでちょっと明るいピンク色の花にそんな名前つけたんだろうか。江戸時代の老園芸家が「老いってこんな色だな」って思ったのかな。まあ、何色かは人それぞれなんだろうけどな。なんかとりとめもないな。

 

そんでもなんだろうね、われわれ人類は馬鹿、過去現在未来馬鹿。これも確かなことで、歴史に消えていった馬鹿の馬鹿話なんかもそれはそれで楽しいものだろう。どうしようもなくくだらない人生を生きて、しょうもない死に方をしたやつも、後世の人間を笑わせることができれば、それはそれで救いだろう。だれか「愚者の歴史」を立派な年表にしてくれないものか。立派である必要もないか。