『エヴォリミット』、あるいは俗流地球人類論について

18禁ゲームの話しますが、18禁画像並びに話題は、たぶんありません。ネタバレはすると思う。

 せっかくWindowsのパソコンを買ったのだからエロゲーをやろうと思っていたのdすが、プレイしたのは『バルドスカイ』の1と2とファンディスクばかりであって、これではいけないと買ってみたのがこちらのゲームです。なんとなくSF気分があたのですね。そして、これはけっこうSF気分に応えてくれるものなのでした。
 舞台は火星、というだけでもういいでしょう。そこで、かつての火星開拓者の少年と少女が100年ぶりにコールドスリープカプセルからめざめます。記憶を失っていた彼らがそこで目にした世界は、人類がパッチという鉱物のようなものを取り込み、さまざまの超能力を得て暮らしていました。ただし、謎の機械が人類を襲いつづける(能力によって退けられるものですが)こと、また、その必要がないということから、機械文明は半ば放棄されているという具合です。さて、そこに人類に厄災を与えるという役割で、100年前のべつの開拓者が……と、いうお話し。
 さて、これがエロゲーとしてどうなのか、と言われると、どうも評価を下すほどの知識はありません。とはいえ、SFものとしては、けっこう楽しめたのですね。いろいろのSF小ネタもふんだんに盛り込まれている。キャラの名前もエフィンジャーだの、アクア・ダンチェッカーだのと。ダンチェッカー先生といえば、『星を継ぐもの』ですから。
 そして、メーンテーマとなるのが、タイトルにもある、人間の進化とその限界のようなものですね。パッチを装着して火星で比較的安穏に暮らしている人類、敵役はこれを停滞と見るわけです。そのために厄災を起こそうというのが、ある種の意思です。そして、話の方は、その発想自体を否定しきらないのですね。100年前の開拓者、‘カラミティ・モンキーズ’の目覚めによって、停滞していた人類が、時間が動き始める、そういう感じなのです。そういう意味で、もっと100年前の人間と、その時代の人間の価値観の違いがもっとはっきり描かれていたらとも思いますが、100年くらいであんまり変わらんというのもあるでしょう。
 して、そのあたりが、この手のSFの面白いところと思うわけです。この地球人類というものの特徴、特性を、進化、進歩、開拓、知的好奇心、それに対する執拗な情熱、そんなものに求めるという発想がです。
 多くのSFで、異星人、それも人類よりも発達している異星人などが、人類のある種の野蛮さに驚異の目をみはる、というようなケースは多いように思います。たとえば、ダンチェッカーの元ネタであるところの『星を継ぐもの』もそうでしょうし、『リングワールド』や『妖星伝』、あるいは『天元突破グレンラガン』などの大きなテーマもそこにあった。あれに描かれていた‘螺旋力’というやつ。
 このあたりが面白いのは、たとえば、俗流日本人論というようなものがあるでしょう、あれに似ていると思うからです。日本人が日本人について、世界の考え方とはこう違う、ここが特殊だ、特別だ、と、地理やら歴史やらなんやらを援用して、いろいろ述べる。「日本人はなぜ日本人論を好むのか」という日本人論だってありうる。たぶん、日本以外の国にもあるでしょう。そして、SFで描かれるそれは、地球人類についてのそれではないか、と。
 しかしまあ、日本人論(や各国のそれ)も「世界」とか「欧米」とか「アメリカ」とか、それ自体おおよそあやふやなものを対象としていますが、まあ間違いなく日本以外の国もあるわけです。ただ、SFの方は、まだ見ぬ異星人だとか、異次元人だとかを勝手に想像して、そいつらはたぶんこういう存在で、それから見た地球人類とはこれこれこういうものである、という、そんな話なのですよ。そこが面白い。
 で、より高次な存在から地球人類を見たときに、特徴としてはある種の野蛮な進化が挙げられるのですね。困難に、立ち向かう。犠牲もあるが、克服する。それを繰り返す。そこに争いやなにか、高次な連中から見たらどうもしょうもない部分、あるいは彼らがとっくに通過したものを見出す、とかね。まあ、ひょっとしたら、地球人よりも野蛮で攻撃的な連中が襲ってくる話の方が多いのかもしれませんが。
 まあ、しかし、こういうのもSFに限った話ではないかもしれません。宇宙人という概念がないころから、たとえば神というような形で高次の連中を想定し、それに対して「人間とはこのようなものである」と自らを定義してきたのではないか。……と、ここで具体的な神話や民話を持ち出せないので、これも空論なのですが。でも、肉体的に劣りながらも、知恵とK.U.F.U.でほかの生物を制し、自然環境、災害に滅ぼされることなく生き続けているというあたりの自負みたいなものは、紀元前にあっても存在していたのではないかなどと思うのですが、さあどうでしょうか。それとも、昔の人はそこまで傲慢ではなく、もっと神頼みだったのでしょうか。よくわかりません。
 いずれにせよ、このあたりの話は好きです。日本人とはなにか、というのも面白い話ではありますが、たまたまの区分に過ぎないという感じはある。偶然もいいところだと。ただ、人類の方となると、偶然にかわりはないのですが、これはもっと逃れられないもののように思えますし、地球上の知的生命体のほとんどに当てはまる問題という気がします。そっちの方が、スケールが大きくていいじゃないですか。それで、将来よその連中が来たときに、こっちはこんな風に予想していたんだけど、どうだろうか? って、プレコグたちの予言を見せてやれたら愉快じゃないですか、ねえ。