どうぶつたちのいるところ~多摩動物公園にて~


 2010年11月20日多摩動物公園へ。以下の写真はα550によって撮影された。レンズはSIGMA APO 70-300mm F4-5.6 DG MACROである。書かれている内容は私の脳内によって生み出されたものであり、実際に動物から聞いた話ではない。動物名は園内マップの簡単な表記に従った。

モウコノウマ


 モウコノウマはときどき人間の言葉がしゃべれないのをもどかしく思う。彼を目の前にして「蒙古の馬」だと勘違いするやつが後を絶たないからだ。モウコノロバとか、アジアノロバの連中も同じ気持をいだいているに違いない。しっかり言っておきたい、「蒙古野馬」なのだと。
 とはいえ、この日、目の前に来て写真を撮った間抜けそうな人間は、「東京スポーツ杯と福島記念はそうとうに自信があるんですよ」などとつぶやいていて、目の前の馬から遠くに意識を飛ばしていたようだったが。

ニホンザル




 誰がサル山にペットボトルを投げ込んだのか? 不埒な輩が投げつけたのか、うっかり者が手を滑らせたのか。今となってはわからない。ただ、そのペットボトルを、一匹のサルが拾ってしまった。その事実のみが重要なのだ。そのサルは、ペットボトルを己が握力でつぶし、歯で噛み、さらには身体を回転させてコンクリートの地面に擦りつけた。
 きっかけは、些細なこと。その歩み出しは、微々たるもの。しかし、生命を進化させるには、ある文明が生まれるにはそれで十分なのだ。
 ……いや、十分なはずだった。飼育員の原付エンジンの音がすると、群れはざわつきだし、餌を運び入れるはっきりとした予兆を感じるとサルたちは大きなひとつの流れとなって動き始めた。ペットボトルのサルはあっさりとペットボトルを捨てうち、その中に混じってわからなくなってしまった。ペットボトルは飼育員が拾い、持ち去った。それがすべてである。

オオカミ





 狼の群れがそこにあって面食らう。秩序と階級があり、野心と暴力もある。ありながら、それは群れであった。月夜の晩、岩山、手も足もばらばらになって、喰われてる俺の肢体。ああ、あるいは実際に喰われてきた人類。たしかにこの生き物は、神にも悪魔にもなぞらえられよう、人がその力を借りたくもなろう。

トラ




 虎の子二匹はじゃれるのが仕事だし、遊びでもじゃれる。仕事と遊びの違いはわからない。虎の母はたいへんだ。子供がじゃれすぎていないかあっちに行き、こっちに行き、行ったと思えば自分が飛びつかれる。しまいには疲れてしまい、変なふうに座ったりする。

ユキヒョウ




 ユキヒョウは鳴く。それを見た人間は「やっぱり猫の鳴き声をごつくしたみたいなものですね」だの、「鳴き声はどうでもいいが、しっぽに触りたい」だののんきなものである。しかし、ユキヒョウは嘆いていたのである。「もうすぐ我らの名を冠したOSが終わり、携帯端末に属従するような、いまいましいライオンに取ってかわられる」と。
 ただ、ユキヒョウは知らなかった。そんなOSを日々扱っている人間が、100人のうち1人か2人いればいいほうだということを。ユキヒョウもまた、ジョブズとかいう禿げの人間になにか騙されているのだ。

レッサーパンダ



 みな、レッサーパンダを見てみぬふりしている。知らないふりをしている。やつらの持つ敏捷さ、鋭い爪、険しい目付き……、まさに悪魔。しかし、それよりも、目先のもふもふに身を委ねてしまう。それが人間の性であり、また、滅びの原因なのである。未来人類のために、それを書き残す。

ターキン



 ゴールデンターキンは少し憂鬱だ。みな、隣にいるレッサーパンダとかいうやつを長い時間見ると、俺たちの前を足早に通りすぎていく。せっかく毛づやもピカピカなのに、ちょっと面白くないじゃないか、と。
 しかし、そんなターキンの仲間にも、切り札があった。子供である。子供の動物はウケがいい。飼育員などがいると、「今、底の方に子供のターキンがいます。崖を駆け上ったりしますよ」などと宣伝もしてくれる。ほら、今もチビが登り始めた。ちょっとぎこちない、足を滑らせたりする、見ている人間も応援している。声をかける人間もいるじゃないか。
 「レッツゴーターキン! がんばれ大崎!」
 ターキンは不思議に思う。オオサキなどと名付けられた子供はいないのだ。

シャモア


 シャモアはかなり憂鬱だ。人間のレッサーパンダへの関心が100だとすると、ターキンのところで50になって、シャモアのところでは12.5あるかないかといったところだからだ。シャモアは考える。……だいたい、動物園を後にした人間のうち、どれだけが自分のことを覚えているというのか。きっと、すごく少ない。まったく、どこで間違ったのか。こっちだってヨーロッパじゃそこそこ有名なはずだ。不本意だが、狩りの対象としてなじまれているはずだ。ところが、このヨーロッパかぶれした国に来てみれば、存在からしてまったく知られていないじゃないか。ひょっとすると、俺たちについて書かれた小説か何かを翻訳するとき、翻訳家のやつが注釈をいれるのも面倒だと、適当に鹿かなにかに置き換えてしまってるんじゃないのか? シャモアの悩みは尽きない。

シフゾウ


 シフゾウの一族にはこんな言い伝えがある。「われわれの祖先は、数多くの生き物たちのなかで、一番目立つ存在になりたいと思った。だから、いろいろな生き物の特徴ある部分を集めて、その身を作ったのである。そして、角がシカの角、頸部がラクダの頸部、蹄がウシ、尾がロバという姿になったのである云々」。
 ……その結果がこの有り様だよ、とシフゾウは思う。どっちつかずの、よくわからない、特徴のない、この姿だ。ウルトラ怪獣のなかでも、タイラントってそんなに人気ないよな? ああ、今日も人間どもはこの姿を見て「ふーん」と言い、由来を読んで「ふーん」と言う。面白くないのでけつを向けていると、遠くから望遠で撮って済ませているやつすらいる。まったく、おもしろくない。

ライオン







 人間の運命はライオンバスの座席のようなものである。進行方向の右側に座るか、左側に座るか。まったくの偶然にすぎない。しかし、その偶然によって、見られるライオン量が変わってくる。同じだけのお金を払っているのに、だ。そして、愚かな人間というのは、頭の中が350円の損得でいっぱいになって、目の前のライオンに心底注意を払えない人間である。愚か者め。案外、日本の雑木林がよく似合うライオンは、そんな連中を毎日眺めて暮らしている。

チンパンジー(の飼育係)



 私は、この誠実なチンパンジーの飼育係氏に教えておきたいことがある。もし、「そんな装備でチンパンジーの世話をして大丈夫か?」という質問が出てきたならば、「大丈夫です。問題ありません」と答えるのだ。それだけだ。

オランウータン






 オランウータンは、彼ら自体の存在が大きく、なにか言う気にはなれない。そのせいだろうか、固定ファンもいる。競馬場ですら見たことのない巨大なレンズ(この写真とは別に)を装着して、オランウータンの個体名を呼ぶ老夫婦などもいた。まったく、それだけの価値があるようにも思える。とくに、この展示場から別の森へと、「スカイウォーク」するのを見てみたいと思う。まったく。

動物園の終わりに


 帰りの、多摩モノレールの車内のことである。
 「日本で一番大きい動物園ってどこなんですかね?」と私。
 「さあ?」と女。
 ちょっと調べてみます、と携帯端末を叩く。

まず、何をもって「日本最大」とするかです。
動物園の場合、面積の広さが第一に考えられますが、
規模を考えた場合、飼育している種類の多さも重要な指標となるでしょう。

日本最大の動物園と水族館はそれぞれどこですか? - まず、何をもって... - Yahoo!知恵袋

 だけど、

面積において最大の動物園は、
52.3ヘクタールの東京都多摩動物公園や、
全体完成時に53.3ヘクタールとなる予定の横浜市ズーラシアが挙げられます。

 だって」
 ……だって。奥の植物区とかのほうが開園しただけで、ズーラシアが日本最大級になる。なにか、あっけないものだな。私は正直、そう感じた。ズーラシアには何年か仕事で毎月通っていたせいもあるが、あまり大きいという印象はない。小さいながら、特色ある(展示動物にとってフリーダム過ぎて姿が見られないことがある、など)動物園という感じだ。恩賜上野動物園にしても、都会にあって有名な動物園という印象。今しがた訪れた多摩動物園にしても、古くからあるスタンダードの動物園というイメージ。しかしそうか、サファリパークなどをのぞけば、最大級だったか(……などと言いながら、一日かかって回りきれていない、昆虫生態園については完全にスルーしているのだが)。
 言うまでもなく、私はどの動物園も好きだ。夢見ヶ崎動物公園も、野毛山動物園も好きである。ただ、私の頭の中には、なにか理想化しすぎた動物園があるようだ。すごい面積、いないものはいないというような種類の動物。設備は新しく、展示は動物たちの自然に近い環境の中で、自然に近い姿を見ることができる。……そんなものは、現実には無理だ。
 だったら、それは脳内につくろう。いろいろの動物のことを知って、知った数だけ増えていく。目にした動物のことをすべて記憶にとどめよう。そうだ、そのための動物園で、そこに生きた動物がいるのだ。シャモアも、シフゾウも、新しく知った動物だ。地味だけど、一回見たのだから、忘れたりはしない。今日見たやつらも、ぜったいに覚えてる! そうだ、そして、また行こう、どこかべつの動物園に!

???


(……誰だっけ、こいつ?)

○おしまい○
 
 
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