日本人はアホなのか?―かなまら祭り2012―


 今朝、アパートのドアを開けましたら、ホームセンターで投げ売りされていたのを買って、勝手に植えておいたクロッカスが花開いていました。春は芽吹く季節なのです。そうして私は、川崎のwikipedia:金山神社 (川崎市)で行われるかなまら祭りに出向くことにしたのでした。
 しかし、私にはどこか信じられない気持ちがあったのでした。なるほど、インターネットで今年は4/1に行われることが書いてあるのを読みましたし、さらには土曜日にJ-WAVEのおしゃれな女性DJがなぜか「男性のシンボルを……」と(なぜ私がこの話題を語らなければいけないのかしら)という思いをにじませながら語っているのを聞きました。行われる場所も、日時もわかっている。それでも、でかいチンコが街を練り歩くなんてことがあるのでしょうか?
 私はホームを改装している山手駅から京浜東北線の上り電車に乗りました。横浜駅の北口から連絡口を通って京浜急行に乗り換えました。青砥駅快特にゆられました(京浜急行快特のゆれ方と流れゆく車窓は、いつも私に死を想起させます)。
 そして、京急川崎の駅に着くと、非常にわかりやすい大師線乗り換えのホームに向かいました。私は川崎競馬場に多少は通っていたこともありますので、慣れたものなのでした。そして、そこでようやく初めて確信したのです、今日「かなまら祭り」が行われる、と。
 なぜならば、大師線のホームは多くの外国人で溢れていたからです。もう少し正確にいえば、いろいろの言語を話す、いろいろの人種で溢れていたのです。川崎でこのようにいろいろの人が集まるのは、「かなまら祭り」くらいであるとどこかで読んでいたのです。
 京急大師線は混み合いました。川崎記念でもこのくらい混むかもしれません。ただ、その場合、多種多様なのは持っている競馬新聞の種類です。みな、川崎競馬場に行き、競馬をする、そういった目的の人間が電車に乗り合わせている。そういう車内の空気というのはいままで何度も体験してきました。しかし、この日は違います。みな、でかいチンコが街を練り歩くのを見に行くのです。そのために、いろいろの言語を話す人間がどこか遠い国から、あるいは飛行機などに乗ってきたかもしれないのです。
 アホかおまえら。そして、俺も。


 さて、川崎大師駅で降りてどうするかという予定はなにも立てておりません。祭りの詳細もくわしく調べてもおりません。午後5時ころまでに川崎駅近くの映画館に行くという予定はありましたが、なんとなく行けばなにか見られるかもしれない、くらいの話でした。
 して、改札を出て、踏切を渡ると、はるか向こうにピンク色のでかいチンコが街を練り歩くのが見えて思わず口をぽかーんと開いてしまいました。なんというタイミングのよさでしょうか。まったくよくわからない。


 あとは適当にでかいチンコが街を練り歩くのにぞろぞろ付き従い、写真を撮るだけのことなのでした。アホか。

 でかいチンコが街を練り歩くのを上手く撮るための機材やテクニックなどもあるようです。写真雑誌などで「でかいチンコが街を練り歩くのを撮る10のコツ」などという記事があったのかもしれません。

 私にはほんの少し英語を解するていどですが、「ビッグ」「スモール」「クレイジー」といった言葉がよく聞かれました。何語がわからない言葉で語り合う人たちも、おおよそ同じようなことを言っていたのではないでしょうか。
 なかにはピンクのTシャツを着て肩車をされ、みずからでかいチンコが街を練り歩くことを実践している人もいて、たいしたものだと思いました。

 また、もっと実践的にでかいチンコが街を練り歩くのを実践している人もいました。

 おまえはちょっと違う。……いや、なんでもいいのかもしれません。

 伝統や文化だのなんだのいろいろ言うこともできるかもしれないが。

 人間の性や身体について言うべきこともあるのかもしれないが。

 まあ、目の前に繰り広げられる光景は圧倒的にアホなのです。

 まだ寒さと暖かさの入り混じった天気のいい春の一日、みんな他にするべきことだってあるはずなのに、でかいチンコが街を練り歩くのを追い回し、写真を撮り、ビデオを回し、手を叩く。わざわざ遠くから見にやつもいれば、京浜東北線京急線を乗り継いでくるやつもいる。みんな、アホだろ。

 けど、一番多いのは近所の人たちで、はっぴなど着てでかいチンコが街を練り歩くのと一緒にぞろぞろ歩きながら「おー、久しぶりだね、膝の具合はどう?」だの「そういえば山下さんが」だの話したりしているのです。ダルマも白目を剥く光景と言いたいところですが、見なれたものでしょう。如何なるか祖師西来の意。

 地理的に巻き込まれてる弘法大師も笑うしかないし、まあでかいチンコが街を練り歩くのはおおよそ近代化した身体を持つ人間にとっては笑うしかないような気にもなりますし、呆れたり、怒ったりする人も、なにかもうしょうがねえなという感じになってしまうかもしれません。

 「でっかいマラ、かなまら!」と唱えれば人類皆兄弟などとはもうしません。だが、まあ、一瞬だけアホでいろいろの人間がつながる可能性はある。

 その、アホの場があるというのは悪い話ではありません。もちろん、性に対する考えや個人的体験などからくる嫌悪感もあるでしょうし、これは信仰そのものですから、宗教に深く関わる話であるということは否めません。子供がチンコの形をした飴をなめていていいのかという、倫理や道徳、性教育の話も出てきても当然でしょう。たこ焼きが誤って外国に伝わる可能性まであって、日本の祭りが全体的に誤解される可能性すらあります。

 しかし、でかいチンコが街を練り歩く光景というのは、ほんの一瞬だけ、それらを忘れさせるかもしれない。
 私の持論としては、いずれ人類が互いにわりと仲良くなれるとしたら、それは「正しさ」によってではなく弱さや悪さ、アホさによってではないかというのがありまして、一瞬だけそれをこの祭りが実現しているのではないかと、そう感じたしだいであります。まあ、でかいチンコが街を練り歩くのは少し人を選ぶかもしれない。でも、たしかにアホの場ではある。少なくとも、いろいろの外国からわざわざ人が来るらしいくらいの場にはなっている。悪くない場です。
 大川周明は、民族性について桜は桜として咲き、梅は梅、椿は椿として咲くのだというようなことを言っていたように思います。まあ、個人的にはたまたま生まれた国や言葉にそこまで固執する気は起こらないので、適当に接ぎ木して違う花になってもいいんじゃねえかとか思うわけではあります(さらにいえば、こんなことを言える立場にたまたま生まれたから言える物言いであって、桜は桜というほどその国家や民族が明確であり、自明なものでもないでしょう)が、あえて日本が世界に先駆けて示せるものがあれば、それはでかいチンコが街を練り歩くことを、ほんの一部で許容してへいちゃらなところ、そんなところにあるんじゃねえかと思うわけであります。むろん、日本はぜんぜんフリーダムな国でもないし、リバティーの国でもないかもいしれないが、どっかしら突き抜けて平気なところがある。それはできれば、あまり害のないものであればいいし、できるだけ大きく、アホな場であればいいでしょう。そして、

 と、思われて上等、というところです。

 以上が、私が2012年4月1日に行われた「かなまら祭り」についての所感です。あまりにでかいチンコが街を練り歩く、すなわち「エリザベス神輿」に目が行きすぎた点は否めませんが、まあ初めてのときというのはなかなか緊張するものですからしかたありません。
 まあ、海を越えて見る価値があるかどうかはわかりませんが、近場の人は一回くらい見ておけばいいかもしれません。そんなことを考えながら私は、劇場版『ストライクウィッチーズ』の二回目の観賞に向かったのでした。もはや何も恥ずかしくないもん! おしまい。

■おまけ______________________
 神輿の列が駅前から折り返し地点の鳥居まで行き、戻ったところで、私は人の列を離れて大師公園でひと休みしました。人ごみが苦手だからです。その後、金山神社に行き、やはりひどい人ごみのなかチンコとマンコの手ぬぐいをお土産に買い、早々に立ち去りました。
 して、写真の焼きそばは祭りの屋台(大師の方にも出ておりました)かといえばそうではなく、川崎競馬場名物のスパイシーな焼きそばです。時間があるので歩いて川崎駅に戻ろうとしていたところ、川崎競馬場の場内大型スクリーンにパドックの様子が映し出されていたのが目に入ったのです。日曜開催で「かなまら祭り特別(A2以下選抜特別)」でも行われているのかと思ったら、中央の場外発売をしていたというわけです。

 私はすっかり競馬をやめていたので忘れていたのですが、そういう話もあったな、などと。
 そこで私は、場外発売の日は入場料もいらないことを知っていたので、中に入って焼きそばを食ったというわけです。競馬をすっかり辞めていても、川崎競馬場で例のスパイシーな焼きそば(小エビの量をケチっていないか?)を食べてもいいでしょう。馬もその場におらないのに、馬券を買うこともない。ちなみに、競馬場に入ったときと出たときの財布の中身から計算すると、この焼きそばは3200円くらいするようですが、ちょっと高すぎるのでなにかの勘違いかもしれません。

関連______________________

身体の零度 (講談社選書メチエ)

身体の零度 (講談社選書メチエ)

 ……身体について考えるとき、だいたいこの本があたまに浮かぶけれど、久しく読んでいないのでまた読もう。