大饗広之『なぜ自殺は減らないのか 精神病理学からのアプローチ』を読む

おれにとって「自殺とはこういうものなのか」というあるていどはっきりした見方をもたらしてくれたのは、張賢徳『人はなぜ自殺するのか』であった。自殺というものについて、いろいろな立場があろうが、読んで損はないといえる。

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して、希死念慮に浸っているものとして、そろそろもう一冊いっておくかと思って手に取ったのがこの本である。

なぜ自殺は減らないのか: 精神病理学からのアプローチ

なぜ自殺は減らないのか: 精神病理学からのアプローチ

 

さあ、「精神病理学」、というのがどういうスタンス、パースペクティブを持ったものなのかわからぬが、とりあえず読んでみなけりゃわからない、というところだ。

したら、こんな表が出てくる感じ、なのであった。

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p.82。ようするになんだろうね、

加藤忠史『岐路に立つ精神医学 精神疾患解明へのロードマップ』を読む - 関内関外日記

で、

精神疾患とは、生物学的な因子、すなわち遺伝子や脳といった因子と、心理的な問題、そして社会的な問題、この三つが渾然一体となって起きているものである」p.46

こうあって、ここんところの「遺伝子や脳」ではなく、あとの二つからのアプローチ、なのかね。ようしらんが。まあ、この本にはこんな文言も出てくる。

 まだまだ巷ではエビデンスエビデンスと蝿のようにうるさいが、今どきの精神医学のように単純に科学的思考(実証主義)に向って突き進むだけならば、ますます全体としての心はみえなくなってしまう。p.224

えー、そうなん? なんかわからんがおれは文系(というか理系が理解できない系)なんだが、「遺伝子や脳」の方に重きを置く、というとなんだが、そっちの解明が心(≒脳)を解き明かすと思ってしまう派、なのよね。「症状は見るが人間はみない」(p.203)とか言われても、こっちは効く薬が欲しいだけなんで。

そんでまあ、でも、やっぱり社会的背景、歴史的背景とかが個々人の心理、あるいは統計としての自殺者数(単に失業率と連動してるだけって話もあったような気がするが)に関係しないわけではないよな。

 かつて自分自身に攻撃を向けた侵入相手を理想化しなければならないといったストックホルム症候群にも似た屈折にともなって、占領統治がおわって平和な日常が戻ってからも10~20代を中心とする若者の自殺が昭和30年前後のピークまで増え続けた。そしてその後も慢性トラウマ症候群(PTSD)は治癒する機会を失ったまま、人びとの自尊感情に大きな影を残している。p.168

ふーん。そんでもって、大きな物語が失われて、小さな物語が云々、なんかどっかで聞いたような話が展開されていて……あんまり性に合わないな。学校というものにいじめがあるのは当たり前で、でも、今のいじめと昔は違って……とかも、だから何だよって話にすぎない。少なくともおれにはそうとしか思えない。「教室は悲哀や落胆へのトレランス、そして葛藤をはねかえす力(レジリアンス)を養う場でなければならない」(p.113)とかいうマチズモにもうんざりだ。いじめられていたときのおれはいじめられていたのであって、嫌われ者であったのであって、人間を嫌いになるのに十分であったのだし、自分を嫌うのに十分であった、それだけだ。そしておれはそれによって傷を受けたのかもしれないし、治っていないのかもしれない。でも、医者ならそれを治す薬をよこせ、ただそれだけだ。

ほかにも、なにやら参考文献に明治天皇の血をひくなんとかいうやつの本をひいて戦後日本の自虐についてほのめかしたり、なんというか、この著者とは反りが合わない。そういう結論に至った。脳なんてものは内臓にすぎない。病気の機序の解明と治療薬、それが全てだ。そして、それが解明されない限り、おれはやはり自死を選ぶしか道はないという結論に至っている。生きるのは苦痛だ。決して再生産されてはならないし、その苦痛を暴発させて他人に迷惑をかけてはならない。静かに、確実に死ぬこと。それだけが求められている。