加藤忠史『岐路に立つ精神医学 精神疾患解明へのロードマップ』を読む

 

岐路に立つ精神医学: 精神疾患解明へのロードマップ

岐路に立つ精神医学: 精神疾患解明へのロードマップ

 

やや不謹慎な話になるやもしれぬが、たとえば骨を折ったとして人間の骨の図解を眺めて面白いだろうか。あんまりおもしろくはないような気がする。いや、おれは骨を折ったことがないのでわからない。けど、きっと精神疾患の人間が精神疾患の本を読むよりはおもしろくないだろうと思う。

というわけで、おれは精神の骨が折れた人間であって、同病者の闘病記や、医師の書いた病の解説本などをおもしろがっているわけである。まあ、おもしろいといっても、おれは今、躁と鬱でいえば鬱の方であって、たいへん文字を追うことすら辛かったのだが。

なんというかね、もうね、今日の午前中もだけれどね、身体が動かない。心の病気というよりは身体の病気のように思える。あるいは、身体にあらわれて初めて抑うつなんじゃないかとか思えたりする。痛みでのたうち回るのも嫌だが、動かないというのも辛いものがある。というか辛い。とっとと死にたい。なんでこんな病気があるのか。そしておれはなぜそれに罹り、なぜそれが治らないのか。

まあ、要するに、この本のタイトルにあるように、精神疾患いうものが解明されていないところにある。機序が完全に解明されたからといってすべて治るものが病気ではないだろうが、ともかく精神疾患は遅れている、というわけだ。なにせ、人間の精神、心というものは一筋縄ではいかない。

精神疾患とは、生物学的な因子、すなわち遺伝子や脳といった因子と、心理的な問題、そして社会的な問題、この三つが渾然一体となって起きているものである」p.46

三位一体でおれは苦しんでいる。そして、とりあえずこれが基本的な考え方らしい。バイオ・サイコ・ソーシャルモデル。批判もある。こういう折衷案的な考え方では治療も中途半端になる、とか。まあそういう考え方もあるだろう。たとえばおれが金銭的に困ることもなく、平穏な環境にあるのに心だけ沈みつづけるとか……いや、もっと具体的な例でいえば、こういうとき名前を出すべきかわからんが、ナインティナイン岡村隆史のような成功者の金持ちが貧困妄想にとらわれたりするようなことがあれば、「遺伝子や脳」というところに着目して治療するのかもしれない。

それでもって、この三つの因子のどれを重視するかみたいなので綱引きもあって、そもそも精神病はすべてそういった弱者を生み出した社会が悪い! というような反精神医学みたいなものも出てくる。というか、それが傍流や異端ではなく東大医学部の主流であったことすらあるという。……ってな話はほかの加藤先生の本でも読んだな。

いずれにせよ、精神疾患は面倒だ。糖尿病の血糖値のようなものすら、まだ確立されていない。近赤外スペクトロスコピー(光トポグラフィー)検査で大うつ病性障害(いわゆるうつ病)が客観的にわかる! みたいなニュースがあったりしても、やっぱりまだまだ不確かなものらしい。

そんでもって、今起こっているのは、なんとなく意外なことに、製薬会社が精神疾患創薬研究から撤退してるって話だ。

最近ではアストラゼネカグラクソ・スミスクラインといった、海外の巨大な製薬企業が、向精神薬の開発から撤退することを次々と表明している。それは、向精神薬開発には、大変な時間と資金がかかるが、結果が予測できず、成功率が低いからである。p.102

反精神医学じゃないが、うつ病を始めとした精神疾患をカジュアルなものにして、製薬会社と医者が薬漬けにして大儲けしている! とかいう話ではないのだ。プロザック大ヒット、大儲け、というのはちょっと昔の話らしい。けど、今はなんだ、発達障害ブームみたいな。薬あんのか知らんが。まあ、そいつが本当にその病気なのかどうかわからんものを、さらに治すとなったらたいへんなことだろう。それでいまだに「なんで効いてるかわからん」リチウムなんかが重宝されているものね。でも、日本発のエビリファイがすごい売れたとかいう話もあるし、ガンガン創っていこうという話。

しかしまあ、ゲノム解析やらなんやらが進んでも、なんで精神疾患の遺伝子がわからんのか? みたいな話にもなる。話にもなるが、研究しとったらこんなことがわかってきた。

 二〇〇四年、セバットという人が、このDNAマイクロアレイを使い、ゲノムの中のかなりの大きな部分が、ごっそりと抜けていたり、あるいは増えていたりする変化があることを発見した。これをコピー数変動(CNV)という。このCNVという現象は、健常とされる人達にも非常に高頻度に存在しており、誰もが多少のCNVをもっていることが分かった。

 これにより人のゲノムというものに対する考え方は劇的に変わった。p.148

変わったのか。知らんかった。それでCNVと疾患との関連が研究されているが、ある欠失や重複がある疾患と一対一で対応しているわけでもないらしい。

このようにCNVの研究が進むうちに、さらに驚くべきことが発見された。それは、父親も母親もこのCNVを持っていないのに、患者さんは持っているというケースが少なからずあり、孤発性の自閉症では、このケースが10%前後も存在することがわかったのである。p.149

つまり、血筋とは関係ない「遺伝病」がある、ということになる。

……これまでは遺伝子の研究というと、遺伝の研究と考えられてきたわけであるが、デノボCNVの発見以降数年の間に、遺伝していない遺伝子変異が病気をおこしているケースも予想外にたくさんあるということが次々とわかってきたのである。p.152

遺伝子だけど遺伝じゃない。レトロトランスポゾン、エピジェネティクス、そんなんもある。となると、なんというか、こんな話も。

そもそも遺伝学というのは、英語ではジェネティクス(Genetics)と言い、遺伝(heredity)と多様性(variation)の学問とされている。ところが、日本語に訳すとき、ジェンティクスが遺伝学、ジーン(Gene)が遺伝子と訳されてしまったため、heredityとの区別がつかなくなってしまった。ジーンというのは、半分は父親、半分は母親から受け継ぐという性質はあるにせよ、細胞の設計図、ひいては個体の設計図であることも重要な性質である。そのため中国語では「基因」と表記される。音を似せるためと言う側面もあるが、ジーンの本質を表した訳と言えよう。しかし日本語では、ジーンは「遺伝子」とされたため、両親から受け継ぐというイメージがあまりにも強く、遺伝子の研究=遺伝の研究と誤解されやすい。p.152

こないだ劣性遺伝と優性遺伝の訳を変えます、という話があったと思うが、ついでにこの「基因」を採用しちゃってもいいような気がする。ゲノム異常は常に親から受け継いだわけじゃあない。もっとも、それはダーウィンの言う突然変異のことかもね、と。

あとはなんだね、いくら動物実験をしてみても、その変異が機能喪失(ロスオブファンクション)なのか異常機能の獲得(ドミナントネガティヴ)なのかわからんとか、そもそもマウスを泳がせたり、尻尾で吊るしてみたり、甘い水を飲ませてみても、マウスの心はわからない、という問題があったりとか。それに、基礎研究と臨床研究の、なんというかアカデミックな組織的問題であるとか、脳みその実物が足りないとか……。

そこで、岐路ということになる。それでも精神疾患を解明し、診断と治療法を開発していき、脳の病気と心の悩みを区別して、必要な対策を講じていくのか、今のままでいいのか、と。もちろん著者は前者の人である。

というわけで、精神疾患者の脳みそが足りないらしいので、おれのようななんの役にも立たぬ社会のお荷物が死んで役に立つのならば立ってみようじゃないか、などと思い、ブレインバンク(http://www.fmu-bb.jp/)のサイトなど眺めたりするのである。おしまい。

 

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